2016.04.02.(Sat)
|
前回の記事の続きです。術科学校でお花見をした次は、歩いて10分ほどのところにある江田島八幡宮へお参りに行きました。社殿までの階段が108段あるらしくって、その前にもめっちゃ歩いてたのもあって登ってる途中に脚が攣って動けなくなりました。やべええ。
こちらの江田島八幡宮、榛名が着底した後、艦内神社にお祀りしていた榛名神社の御霊代を預かっていただいていた神社です。榛名乗組員による奉納もあるよ。 最後の艦長・吉村真武大佐が共に退艦された後、江田島八幡宮で保管されていた御霊代は、昭和30年、舟越楫四郎初代艦長や初代乗組員、歴代艦長の手によって榛名神社に奉還されたといいます。榛名神社側には、榛名の主砲から作った灰皿や水兵帽のペンネントなんかが奉納されているようですね。以前は榛名神社のサイトに経緯が載っていましたが、サイトが新しくなってからはなくなっているみたい。
お参りして、御朱印をいただきたくって社務所にお電話したら、神職さんは外出されたところとのこと。30分か1時間くらいでお帰りになるようだったんだけど、バスやフェリーの時間が気になったので、また次に来た時にお願いします、と言って神社を後にしました。御朱印をいただく際は、事前にご連絡しておいた方がよいそうです。呉はまた行くだろうから、今度は事前にお願いしてから訪ねる……。 あと、境内に古鷹神社が合祀されている。
神社前からバスで港まで戻って、今度は榛名の着底位置辺りを見に行きました。戦後米軍が撮った航空写真と、googleマップを照らし合わせて大体の位置を掴んだところによると、多分、フェリーターミナルの少し北側の、小さい船(漁船?)がいっぱい繋いである辺り、だと思います。今も護岸工事してたので、当時よりどんどん海岸線が海側に寄ってるっぽい。
榛名が元々繋留されていた呉工廠造兵部の辺りが、ちょうど対岸に見えます。昭和20年、3/19の空襲で直撃弾1発、6/22の空襲で更に1発の直撃弾を受け、呉港からの疎開のため、石炭焚きの曳船に引かれながら江田島小用沖に移動することになりました。艦首を南に向けて、水深たった十数メートルの浅瀬に繋留されます。これで、着底こそすれど沈むことはない。
もしかしたら海底に榛名の欠片くらいは落ちて……いや埋まっているかもしれない。 なお、昭和20年7月28日の呉空襲で大破着底した榛名ですが、昭和21年5月2日〜7月4日にかけて播磨造船所の手により上部構造物の撤去が行われたものの、第四砲塔を含む水線下の船体は解撤に至らずそのまましばらく放置。25年7月から岡田組によって浮揚作業開始、翌年2/12に完全浮揚に成功しました。その後、1年をかけて解体作業がなされたようです。 解体の話といえば、伊勢日向は最後の時まで仲良くキール並べていたらしくって、もーおまえらそりゃわかるよ!現代で同じ名前受け継いだ子がまた姉妹艦になっちゃうのよくわかるよ!っていう気持ちになります。ニコイチすぎんだろもう……。仲がいいっていうか悪友みたいなイメージのある伊勢型です。
ぼけーっとしてたら(あと体力なくて機敏に動けずにいたら)フェリー1本乗り逃して、てつのくじら館見学がアウトになりました。こんなことなら神社でもう少し待てばよかった。まあそんなこんなで、帰りはフェリーで江田島を後にします。高速船と比べて、外で景色を眺められるのでいいな。お昼間はだいぶ暑かったけれど、日も暮れ始めて、風は少しずつ冷たくなってきていました。
途中で日本郵船の船とすれ違ったんですが、中身積んでないのかめっちゃ赤腹見えてて不安定な気分になる。舵も見えてる。パナマ文書が今話題になってるけど、船はほとんどパナマ船籍だよね。あと、海保さんのおふねもいました。こじまさん。海上保安大学校の練習船だそう。
日本製鋼の辺りは前述のとおり旧呉海軍工廠造兵部で、この前に浮桟橋を置いて榛名は繋留されていました。
大和の建造ドックの傍には入渠中の護衛艦「とね」が。
呉に戻って、大和ミュージアムを見学しました。友の会入っているので特別展のチケットもらってて、せめて一度だけは……!と。 特別企画展の「日米最後の戦艦展〜戦艦大和とミズーリ〜」は撮影不可でした。ミズーリと合わせるとどうしても特攻の話になってしまうよね……。金剛型は影も形もなかった(いつも紛れ込んでいる)(と思ったら、ガイドブックを改めて読んでいたら測距儀のところで榛名の名前は出ていた)。江田島の教育参考館に普段は展示されている宇垣纏の『戦藻録』はこちらに来ていました。
特別展と関係ないけどいつ見てもすごい1/100金剛。 なお、火星エンジンはすごくさり気なく置いてありました。も、もうちょっと何かアピールされてるかと思っていた……!だって、スミソニアンから譲ってもらって新しく来たばかりの展示なのに……。期間限定っていう表示もなかった。
大和ミュージアムのショップで特別企画展のガイドブックとお土産を仕入れて、ラスト、夕呉クルーズ乗船。朝の時点で、予約してなくても乗れますか?と受付で聞いたら、時間に合わせて来てもらったら大丈夫、とのことだったので喜び勇んで乗りに行きました。これは日没の自衛艦旗降納に合わせてのクルーズです。待機してたのに、タイミング出遅れて場所取り失敗しちゃったけど!
ちょうど、さっきフェリーとすれ違った日本郵船の船が岸壁に帰ってくるところでした。公試で出てたらしい。だからあんなに乾舷高かったのね……。 船はそのまま自衛隊の基地の方へ。前も一度通常のクルーズ乗ったけど、呉のクルーズって結構ぐいぐい中の方まで入るからびっくりする。桟橋と桟橋の間に入っていく……。よ、横須賀もしよう?(無理です)
じんりゅうちゃん。そうりゅう型潜水艦7番艦。神戸三菱で建造されて3月に就役したばかりなので、まだ艦番号507とお名前が船体に書いてあります。この2日後には消されたみたい。ギリギリで見れました。ラッキー。 日没の時間になったので、喇叭の吹奏と共に艦首の日章旗、艦尾の自衛艦旗が降ろされます。掲揚はいつでも朝8時だけど、降納は日没に合わせてなので日によって時間が違う。夕呉クルーズ、夏場になったらだいぶ遅い時間にやるのかな?
陽が落ちて、おふねにもライトが点きました。
日帰りで慌ただしかったけど、満喫できた1日でした!帰りは新幹線で駅弁を食べながら大阪へ。お酒買えばよかったな〜。
| | |