にっき。画像にオンマウスで大概なんか説明出ます。

2013.03.13.(Wed) 
3/9〜11、俺の嫁の生まれ故郷長崎・佐世保に行ってきました!あーもうすっごいよかった!人が優しくてごはんがおいしくて見たいものいっぱいあっていいところだった!
ということで恒例のレポートです。


■1日目(3/9)

遠方から来ることりさんとは、例によって例のごとく一旦大阪で集合して、行きの便の出発地である神戸空港へと向かいました。あのですねー!空港へ行くポートライナーからはねー!川崎の神戸造船所が見えるんですよー!神戸川崎って言ったら榛名ちゃんの故郷ですよー!神戸から長崎に行くとか、も、もう……やばい……(息絶え絶え)ってなりながら(ひとりで)、一路空港へ。
朝ごはんの後、展望デッキに上がったんですけど、飛行機見るとテンション上がるー!空港久し振りだったんで余計に。搭乗してからも、窓際の席を取ったので、眼下の風景を眺めてずっとそわそわしてました。子供か。
神戸から長崎までは1時間程度のフライトです。到着してから空港出れるまでに時間かかるよ、って言われてたんだけど、そんなこともなく、手荷物も預けていなかったのでするする出ることができました。

空港からはバスで佐世保へ。こちらは約1時間半。
とうとう!来ました!佐世保!金剛型好き的に、四隻とも所属したことのある佐世保はもう聖地だよねっていう(比叡は途中で横須賀へ転籍、逆に金剛・榛名は横須賀から転籍してきた)。あとわたしの霧島はずっと佐世保だよ❤

まずはお昼ごはん、ということで佐世保で有名らしいレモンステーキを食べに行きました。駅から近めのところ、ということで、佐世保の観光案内のHPに載ってたカフェを選んで早速注文したんだけど、一回オーダー聞いてもらった後で、店員さんが「レモンステーキはお昼にはやってないんですよ」と。レモンステーキ目当てだったんで、それだったらすみません、と店を出ようとしたら、奥から「できるよ」って声が。お昼のメニューにはなかったんだろうけど、作ってもらえることになりました!食べてみたら、すっごく酸っぱかったー!いや、ほんのり酸味くらいかな?って思ってたの。ガチレモンだった。写真でよく見るオーソドックスなレモンステーキとは違う感じだったので、お店のアレンジもあったかもしれない。





その後はできるだけ海沿いを歩いて、一本手前で曲がっちゃって迷ったりしつつ海自の艦艇一般公開へ。普段は護衛艦を公開してるところがその日は掃海艇で、掃海艇は阪神基地隊でも定期的に公開してるのでちょっと残念だな〜って思ってたんだけど、実際見学してびっくりしたのが、ちゃんと見学者について全部説明してくれること!だって、普段見学する時って、聞きたいことがあったら人を捕まえて質問する、って感じだもん。
説明してくださったのは補給科の方で、航海科なんかは航海してる時だけ忙しいけど自分達はずっと忙しいよ、ということを仰ってました。ごはんは毎食要るものね……。それに掃海艇は小柄なのでめちゃくちゃ揺れるらしい。波も艦橋の辺りまで来るとのこと。あと20mm機関砲の照準覗かせてもらった。目視なんだね!?













それと!二日前の3/7に就役したばっかりの!てるづきが!いました!!中は見学できないものの、岸壁からは自由に撮影できて、あと、色々作業されているところも眺めてました。「てるづき」は霧島の最期を看取った「照月」と同じ名前繋がりから気になっていた。秋月型からの防空駆逐艦の系譜かっこいい。あと、新品だし何処もかしこもぴかぴかしてるし。今後横須賀に配備だから、こんなに近くで気軽に見れることはなかなかないかもしれない……。





他にも「じんつう」とか「さわぎり」、あと、別の岸壁にも色々おふねがいたんだけど、遠くてよくわからなかったな〜。





お次は「海上自衛隊佐世保史料館(セイルタワー)」へ。行くのにタクシー使ったんだけど、長崎弁聞き慣れなくって時々「?」ってなってた。言葉自体はそんなに違わなくても、イントネーションの違いだけで頭がうまく認識しなくてわからなくなる時あるね。





閉館まであまり時間がなかったので駆け足での見学になってしまったけれど、これはタクシーの運転手さんが言っていたとおりたっぷり見る時間必要だわ!そして写真撮影禁止なのが惜しまれる!資料数そこそこあって、パネルや模型だけじゃなくて実物もあるの。一種も二種も三種も、マントとかも飾ってあってねえ、すごい。それに巡洋戦艦時代の金剛の断面図とか初めて見たー!内部構造あんな風になってんだ!これほんと……図録とかあったら確実に買ってた……。ええと、霧島もパネルにいました。
太平洋戦争辺りの時代のコーナーで大和の模型を見ていたら(ほんと大和様何処にでもいる)、声をかけられて、舵が前後についてるでしょ、っていうのを言われて。「はぁ……(ごめんなさい知ってます)」ってなってたんだけど、その後に!大和のカタパルトは後ろ向きに射出されるんだよ武蔵は前向きなんだよ、って教えてもらってウワアァァってなった。それは本当かい??あと大和の艦尾は若干直線的(おしりが平らになってる)だけど武蔵はなだらかとか?いやもうこれまさしく大和と武蔵の性格じゃないのかい……。
そして、資料室に霧島会が発行した『戦艦霧島』が!あった!!!慰霊碑建立の際に発行されたもののようで、それにまつわる色々と、乗り組んでいらした方達の回想録、といった内容でした。時間なくてぱらぱらとしか見れなかったので、やっぱり手許にほしいじっくり読みたい。市場に出回っていたらある程度の貢納は覚悟するのにそもそも出回っていない……。

あと、お土産屋さんで艦艇の手拭い買っちゃった❤ だって大体同型艦でまとめられているのになんと霧島がピンだったから❤
セイルタワー、今度改めて見学に来たいです。映像展示もちゃんと見るー!じっくり見ようと思ったら少なくとも半日は必要だなあ。一時間ちょっとじゃ無理だよ。


更に、セイルタワーの近くにあった「旧海軍佐世保鎮守府凱旋記念館」も見学。当初は予定になかったのですが、あの建物なんだろ、とことりさんが調べてくれて旧海軍関係の建物だとわかったので。





元は、佐世保鎮守府所属の艦艇が第一次大戦で連合国側に属して活躍したことを記念して大正十二年建てられたもの、とのことです。海軍の行事や合同葬に使われていたものが、戦後米軍に接収され、のちに佐世保市に返還され市民文化ホールになっています。中を見せてもらっていいですか、とスタッフの方にお尋ねしたところ、OKもらえたばかりか付き添いで説明までしていただいた!しかも裏側の控室まで見せてもらっちゃった……。
開戦後も昭和十七年六月頃までは南方で戦死された方のご遺体を集めて慰霊行事をしていた(今は舞台になっているところの幕の裏側が祭壇)、とのことなので、あれですかね、六月といえばミッドウェー以降追いつかなくなったってことですかね……。
現在の姿は米軍接収時に改装された状態で、海軍時代は普通のホールだったのが、ダンスホール・映画館として利用されたために舞台や映写機の設置スペースが付け足されています(あれっ何処かで聞いたような話……)。あのね、この目の覚めるようなブルーの内装はね、どう考えてもメリカさんのセンスだと思うの……。控室や二階の一部に、クリーム色の壁の部分が残っているので、本来は全体的にその色だったんでしょう。あと、壁とか付け足したりしてるとこも叩いてみたらわかりやすかったです。









さて、凱旋記念館を後にして夕暮れの佐世保の街を歩き、少しお土産を買ったりして、次のお目当ては入港ぜんざい!更に晩ごはんは海軍さんのビーフシチュー!
このビーフシチュー、お値段が相場より安かったので「大丈夫かな……?」とことりさんと二人少しばかり不安がっていたのですが、お肉やわらかーくてすっごくおいしかった!因みにここのお店では「軍艦シュークリーム」(ちょうでかい。十人前)も出してるよ!要予約だよ!







で、当日中に長崎へ移動しないといけないので、高速バス乗り場に向かう、その前に、晩ごはんを食べたお店の近くにあったアニメイトに寄ることにしまして。ことりさんが、九州のご当地少年ヒーロー(?)「急襲戦隊ダンジジャー」というののグッズがあるんだよー、と。まだ19時くらいだったので、普通に入ってみたら、メイト閉店準備してた。えっ。
仕方なく昼にも寄った海辺の公園を散策して、定刻となったのでバスで一路長崎へ。長崎に着いたら、二軒目行ってお酒呑もう、って計画段階は話してたんだけど、一日で結構な距離を移動したのでそんな元気もなく、市電に乗ってまっすぐホテルに向かいました。路面電車可愛い!

そんなわけで一日目は無事終了です。波乱万丈(わたしだけ)の二日目に続くよ!

2013.03.16.(Sat) 
■2日目(3/10)・その1

ホテルのチェックイン時に、満室なんで朝食会場が混むと思います、って言われていたので、少し早起きして早めに朝ごはんをいただきました。バイキングに皿うどんの小さいのがあったよ!流石長崎!
で、朝ゆっくりするだろうなあって思って軍艦島クルーズの午前でも遅めの便を予約していたので、早いのでもよかったね、ってことりさんと言いながら、クルーズの前に近辺を散策することにしました。ホテルがちょうどオランダ坂や東山手の居留地のある辺りだったの。東山手十二番館は内部も見学したよ。







で、わたしはご存知のとおり霧榛の人で、榛名ちゃんが横須賀から佐世保に転籍してきた頃に、ずっと九州育ちの霧島が佐世保とか長崎とか案内してあげたらいいなあっていう妄想を延々としているんですけど、坂道で前を歩くことりさんの背中見ながらずーっとそのこと考えてた!やばい萌える!滾る!知らない土地なのに(しかも目的地も知らないのに)先先行っちゃう榛名と、その背中を見上げて後を追いかける霧島です。アーかわいい!





その後、港の方へ。予約した軍艦島クルーズの船着場も同じ電停の近辺にあって、ほんと便利なところに泊まったなあと思いました。
で、海の方に近付いた時にね、対岸の三菱造船所の岸壁におふねが見えたんですよ。灰色の。ウワアァァ護衛艦∩( ・ω・)∩ばんじゃーい!!って道路を渡ろうとしたら、道の真ん中にでっぱりがあってね。
……はい挫いた!今足挫いたね!デジャブって思った人正解です!わたし和倉でも段差に躓いて足捻ってました!どうも、旅先で怪我をすることに定評のあるあおいです!
余りに思いっきりいったものだから、ことりさんに近くのコンビニで湿布探してきてもらったんだけど置いてなくって、でもこの時はそこまでひどくなかったし、すぐにましになると思っていたんです。
因みに、「くらま」と「ちょうかい」と「あしがら」と「あきづき」、「すずつき」がいました(艦番号から多分そう)。整備してるのかな。







あと、海保のおふねも間近で見ました。「でじま」さん。海保のおふねは白と青で綺麗。水平線に馴染む軍艦色じゃなくて、敢えての白、というところが!水鳥のようだ……すてき……。
今まで海保の船ってそんな近くでまじまじ見たことなくって、ちゃんと船名を認識して見たのは初めてだったのですが、大きい船でびっくりした!多分これまでは小さい巡視船しか見たことなかった!あと、ウィキペで調べて海保の船は名前変わるの!?ってびっくりしてたら、「親しみやすいように配属先によって変える」ってことを教えてもらって。そのうえで、功績を挙げた船は名前が変わらない、っていうことも聞いて、ウワァァア!かっこいい!そのうちの一隻が海保さんの方の「きりしま」だそうです。ソワァ……。





あと、びっくりするのが、造船所側の岸壁と対岸の近さ!武蔵の進水時に、対岸にぶつからないよう大変だったとか対岸の家が浸水したとか色々聞きますけど、そりゃそうだわー!という感じ。目で見て実感した。午後に行ったグラバー園でも、あまりにもあんまりなほど造船所一帯が丸見えで、そりゃ三菱が買い取るわ、って思った。


肝心の軍艦島クルーズ、わたしたちの回のガイドさんは、昔、軍艦島で働いた経験のある方とのことで、数いるガイドさんの中でも唯一らしいです。ラッキー!だけど、ちょうど出港前に雨が降ってきて、もし上陸できなかったらどうしよう、と不安に。
船が動き出した辺りで、二階のデッキに上ることもできました。三菱造船所の傍も通ってくれるので、護衛艦もドックも間近で見れる。まじ右舷がおすすめ。基本的にこういう遊覧船は右舷前方に陣取るのがいいよ。
武蔵を建造した第二船台のガントリー・クレーンはまだ残ってるんだけど、霧島のために設置した第一船台の方のクレーンは影も形もないようで……。ざんねーん!第一船台と第二船台ってどういう位置関係だったんだろ、って思ってたら、ぴったり寄り添ってたんだね。
神戸川崎の榛名の方で、試運転前の故障が原因で造機部長の篠田技師が自刃されたのは有名な話ですが、霧島の方も結構大変だったみたいで、輸入した地金が使い物にならなくってスクリュープロペラの鋳込みに何度も失敗しただとか色々ありました。ガントリー・クレーン、それぞれイギリス製とドイツ製だったり、主機がパーソンズとブラウン・カーチスだったり、微妙なところでお揃いではない。





その後、船は速力を上げて軍艦島こと端島へ。天候が悪かった所為か波が高く、揺れる揺れる。酔い止めを飲んでおいてよかった。一旦島の周囲を半周くらいして説明してくれるのですが、調子乗って写真撮りまくってたらあちこち体をぶつけまくって、これ書いてる今でも青痣残ってて痛い。







軍艦島についてはもう有名すぎるので説明不要と思うけれど、海底炭鉱で栄えた半分人工(埋め立てで拡張)の島です。海軍的には、三菱長崎造船所で建造中だった「土佐」に似ていることから「軍艦島」と呼ばれた、という由縁もあります。1974年の閉山以降、無人島となり、その後、廃墟ブームで脚光を浴びることに。
上陸する頃には雨は上がっていて、ほんとよかった!風速や波高によっては上陸不可になることもあるようで。

見学コースは通路が既に整備されていて、三ヶ所ほどの広場でそれぞれ説明を受ける形でした。熱心に聞いている人もいればふらふら写真を撮っている人もいる、という感じ。





右手奥に見えるのは石炭を運ぶベルトコンベアーの台座。その奥は端島小中学校。







写真中央の階段は「命の階段」と呼ばれていたそう。この階段を登った先に竪坑がありました。ここから地下600mの深くまで潜るわけです。
この階段を一人で降りることのできなかった方は、84年で215名とのこと。ガイドさんが、同僚がトロッコに挟まって亡くなったことを話してくれました。魂が地下にとどまると災いが起こるということで、まだ死んでないよ、という証に亡骸に声をかけながら地上に連れ帰るそうです。
あと、坑内では馬も働いていて、浅いところで働いている分には毎日地上に戻すんだけど、深いところだと一週間に一回くらいになってしまって、酸素不足で早くに死んでしまうのだとか。







帰りの船はデッキの後方にある横向き(進行方向でなく海の方を向いている)の席に座ったんですけど、これが、屋根も横のカバーもなくてね、水飛沫をもろに浴びまくり!もう寒すぎて楽しくてすっかり舞い上がっているものだから、波を被るたびにキャッキャしてました。テンションおかしかった。飴ももらいました。
ええと、着てたワンピは家に帰ってすぐにクリーニングに出しましたよ……。
あと、小菅修船場跡(通称『ソロバン・ドック』)の方にも寄ってくれました。

軍艦島へのクルーズツアーが組まれる前、一般人はおろか報道関係者の立ち入りも禁止されていた頃からずっと行きたいと思っていたので(その頃は無断上陸しか手段がなかったみたい)、こうして念願叶って夢のようでした。ああ、中の方までは入れないとはいえ、やっぱり実物を見るのは違うなあ。
今回、生憎の曇り空だったので、今度は晴天の時に行きたいです。

2013.03.17.(Sun) 
■2日目(3/10)・その2

一旦ホテルに帰って捻ったところを見てみたら、すっごい腫れてた。大丈夫って思ってたけど左右見比べたらちょう腫れてた。軍艦島ではちゃんと歩けてたし、この時点でもそこまで痛みはなかったので、見ない振りしてお昼食べに……。
お昼ごはんは「きっちんせいじ」でトルコライスをいただきました。お店がちょっと変わっていて、外観が路面電車になってるの!入口の扉も半分に折れ曲がるやつですてき。内装も電車関係でした。
トルコライスは、カツとナポリタンとカレーピラフとサラダのセット!量が多めで、金沢で食べたハントンライスを思い出した(あれは食べきれなかった)。あと、マヨネーズ(自家製?)がテーブルに置いてあって、好きなだけかけられるよ!わたし、トマト食べるのにマヨネーズないとつらいのでありがたかった。







因みに、9/16はトルコライスの日だそうです。1890(明治23)年9月16日にトルコの軍艦・エルトゥールル号が和歌山沖で遭難して、それを大島の人達が救助した、日土友好のきっかけの日、ということらしい。この時の生還者をトルコに送り届けたのが初代のコルヴェット金剛・比叡だよー!秋山真之も乗ってた。

お店から眼鏡橋が近かったので、それも見に行きました。案内板を見ていたら、近くにいたおじさん?おじいさん?に突然声をかけられて、びっくりしてたら眼鏡橋のこととか、ハート型の石があることとか、色々説明してくれた。な、長崎の人って、もしや、人懐こい……?





お次はグラバー園へ。最初は三日目に行く予定にしてたけど、今思うと無謀だった二日目に行ってよかった。大浦天主堂下の電停からでも、石橋電停からでも行けるよ、との案内だけど、斜行エレベーター(グラバースカイロード)が気になったので後者で。これ、前者だったら上りってことだよね……。
上から降りてくる形なので、一番最初に旧三菱第2ドックハウスがあります。これは飽の浦から移設されたものとのこと。





グラバー邸、リンガー邸、オルト邸が元々あったもので、その他はよそから移設されてきたものだそうです。
旧グラバー住宅は、先にも言ったけど、ほんと三菱の造船所が丸見えだった。これはアカン。眼下の写真を撮りながら、「ウオォォ憲兵さんにしょっ引かれる!」って妄想してた。















グラバー園から出た後は、大浦天主堂も拝観しました。我々が行った時はちょうど人も少なくて、よかった。





坂道を下り切ったら、意外とホテルの近くまで出て、少し驚き。坂だから距離感がよくわからない……。しかし歩き回った所為で足の状態がだいぶひどくなってて、ことりさんの申し出に甘えて湿布を買いに行ってもらいました。ほんと迷惑かけました。あと、アーケードにメイトあったみたいでダンジジャーの冊子をお買い上げして帰ってきたのでそれ見せてもらいました。青い子と黒い子と黄色の子がいいね……(わかりやすい)。


晩ごはんはことりさんが食べログで探してくれたところに。島原出身のおにいさんがやってるお店でした。ガイドブックに載ってて気になってたお店、ことごとく日曜定休だったんだよー!
まずはいつもどおり日本酒で乾杯して、ことりさんは二杯目に焼酎も呑んでた。わたしは足がだめなので控えめに地サイダーを。お料理もおいしくってねえ。小芋の天ぷらがすごくよかった。「つわ」っていう山菜(石蕗?)も初めて食べた。旅行でごはんがおいしいのは幸せだよねぇー!お店は大体ことりさんが決めてくれてるけど、外れたことないのですごいと思います。
あと、わたしたちより後に入ってきたお客さんですごいテンションの高いおじさん(福岡の人だそう)がいて、何かめっちゃ絡まれました。明日何処行くの、って訊かれたので、「三菱造船所の史料館です」って言ったら、「明日は一日中市電に乗るつもりだったけど、自分も行く」って。テンション高かったよ……。あ、ちゃんと翌日史料館でお会いしました。

で、今度こそ二軒目でスイーツ!と甘いお酒!これもネットで調べてった(ことりさんが)お店だったんだけど、細い階段を上った二階にあってめっちゃわかりにくい。若干彷徨いました。
お店は小ぢんまりとしてて雰囲気よかったです。スイーツは二つ頼んでことりさんとはんぶんこしました。わたしが頼んだのはクレームブリュレ。おいしかったー!
でも、帰りに、路面電車の一日乗車券なくしたことに気付いた。コートのポケットに入れてたから、脱ぎ着している間に落としたみたい……。


ホテルに帰って、わたしは足が痛いのでお風呂は翌朝に回して早速寝る準備してたんだけど、お風呂入る、って言ってたことりさんがガチ熟睡しててね……なんというデジャブ。お酒もだいぶ入ってたし起こすのは可哀相だったので、足元にストールかけるに留めました。
しばらく経ってことりさんが目を覚ましたところでわたしは早めに就寝!おつかれさまでした。

2013.03.18.(Mon) 
■3日目(3/11)





だいぶ疲れも溜まってきているので朝はゆっくり準備して、バスで長崎造船所史料館へ!ここに行くためにわざわざ平日にお休み取ってきたのだよー!だって土日祝休館なんだもの。
あ、お嫁さんのご実家にご挨拶に伺うということでわたくしこの日のために新調した真っ白いワンピースを着ていきました(まがお)





すごい





霧島





いっぱい(想定比)

だって川崎の榛名ちゃんはパネルに写真だけやで……(カワサキワールド自体船舶関係少ないけど)。霧島の進水記念品が展示されてるってのはHPで知ってたけど、思っていたより点数あった!すごい期待度下げてた分、予想外で嬉しかった!







武蔵が800番船だったのは知ってたけど、霧島にも通し番号あるんだよな〜。225番船。きりしま、ってひらがなで書かれると護衛艦の方みたい。「きりしま」も長崎っ子ですけど!あ、護衛艦の進水絵葉書も展示されてたよー!





武蔵は独立したコーナーがあるので好きな人は来ればいいと思います(特定の方角へ向けて)。工程表とかほんとわけわからんけどすごいー!







橿原丸から隼鷹になると、番号がひとつ上がっちゃう(900番船→901番船)のも、別の船って扱いなんだな、って思いました。あと、ことりさんが誤植っぽいの見付けてた。





大きい機械もかっこいいです。







あんまり舞い上がりすぎて写真ぱしゃぱしゃ撮ってたものだからSDカードの容量なくなって(前のも消してなかった所為で)、ベンチに座って消去作業に勤しんでたら、「熱心に勉強してるみたいだから」っていいものもらった!えへへ……勉強はしとくものだね……。


すっかり堪能した後は、お昼ごはん。中華街で皿うどんと東坡肉食べましたー!パリパリ麺好き。おいしかった。けど量が多かった!
その後、酒屋さんや駅前の物産館を回ってお土産を買って、心底名残惜しみつつ長崎空港へ。そこでもだめ押しとばかりに散財した……。ミルクセーキも食べたよ!妹に買って帰った皿うどんチョコは意外と好評でした。





帰りも飛行機で、今度は伊丹空港へ。四国を横切って淡路島の傍を通り過ぎ関空を横目に大阪を北上する、って感じのルートで、しかも夕景から夜景に移り変わる時間で、窓からの景色がたいへんよかった!





大阪に着いて、ことりさんとはお別れ。二泊三日、本当に楽しかったです!

おふね関係だけじゃなく一般人的な観光名所もふんだんに回ったし、満足。今回の旅で、長崎に初めて行きましたけど、いいところだなあって思いました!特に人がよかった!こんなすてきなところで生まれ育った霧島はきっといい子に違いない。
今度行く時はもうちょっと佐世保を重点的に見たいなー。あとおくんち見てみたい!

2013.03.19.(Tue) 
おはよう、と、おつかれさま
3/16〜19の間に、わたしの好きなおふねたちのあれこれが重なっていたので、まとめて描いたのをトップ絵にしてました。

> 榛名の起工(M45)ときりしまの就役(H7)とひえいの退役(H23)が3/16で、霧島の起工が3/17(M45)で、3/18ははるなの退役(H21)で3/19が起工(S45)なんでちょっとこの辺凝縮されすぎでどうしたらいいかわかりませんね。

っていう絵です。

江田島のひえいの解体、とうとう始まっちゃったみたいですね。退役してから約2年、ここまで引っ張ったら残すのかと思った。

2013.03.22.(Fri) 
描き慣れてない感満載!
拍手でリクエストいただきました伊勢さん。基本的ににやにやした目をしている伊勢型、って思ってる。

昨日は『軍艦金剛廻航記』を読んでほくほくしてました。いやーほしかったんだけど、前に古書検索で引っかかった時多分ごまんえん以上してたと思うので(違う本かもしれないけど!見たのは記念の写真帖だったような気もする)、まさか読めるとは思ってなかった。
あと、大学の図書館に大正八年の海軍大演習の写真帖が!あった!三戦隊は青軍で勢揃いしてましたー!戦史叢書も揃ってるしな……いいところだな図書館……。

2013.03.28.(Thu) 
3/23、ハナさんと一緒に大阪・天保山で公開された護衛艦「いそゆき」の見学に行ってきました!





海自の一般公開、ハナさんは初めてということで、二人でキャッキャしながら大阪港へ。道すがら既にマストが見えててレーダーくるくる回ってて、テンション上がりすぎて電探電探言ってたら、同じく信号待ちしてた男の人に声かけられたw
歴女ですか、って訊かれたので「そうです」って答えたのだけど、「ただし太平洋戦争限定で」「わたしはもっと前からだよ」「日露くらい」「よりは後!」っていう……金剛型は日露より後です。歴女かって前も訊かれたことあるけど、われら特定部分で歴女のハードル上げていると思う……でもミリオタよりは歴女寄りだと思う。わたし、出身が歴オタだしな〜。
声かけてくれた人のお連れさんは、「あきづき」や「ひゅうが」の電気関係の仕事をしたって話でした。三菱の人かしら。でも「ひゅうが」はIHIか。

荷物検査とかの順番待ちしている間に練習艦「かしま」の写真を撮っていたのだけど、ちょうど通りがかった自衛官さんが写り込んでしまって、でもそれをきっかけにお話ししました。ヘリのパイロットさん(後でわかったけどそのうえ教官さん!)とのこと。わあわあ言って握手してもらったワーイ。

そんな感じで乗艦。まずは前甲板に出て、アスロックと速射砲!あと錨鎖萌え。後でお話聞いたんだけど、これ当たったらやっぱりわけもわからないうちに肉片になるらしい。指揮官のもとで作業します、とのことだったけど、主錨(ゆき型で2、3トンだそうな)打ち込む時に甲板で作業するのは考えるだけで怖いな〜。逆に引き上げる時のことも聞いた!
関係ないけど、緊急時に主錨捨てて離脱するのってかっこいいなと思います。







ハナさんが、大和型のボラード(繋留用の索をかける突起物)は通風孔になっているから上開いてるんだよ、って教えてくれました。





舷側に回って吸気音に聞き入ってたんだけど(昔のふねはもっとすごい音するのかしら、とか)、この下に機関室があって、停泊している間も電気が必要だから動かしているとのこと。何となく、そこに在るだけ1日50トンの重油を喰う、というのを思い出してた。横須賀に繋留された長門だけど、もうアブラがないから、石炭式のボイラーで陸から蒸気送って日常生活のための動力賄ってた、って話。





あと、うねりがひどい時は艦が45度くらいに傾くんだって。お話ししてくださった方は35度までは経験したことがあるそう。
広島に入る時(だったかな?)、波に当たって壊れちゃった場所がある、ってそれも見せてもらいました。金属が折れ曲がるくらいの波って!佐世保で掃海艇を見学した時に、艦橋まで波が来るよ、って教えてもらって、やっぱ小さいしな〜って思ってたんだけど、護衛艦でもそうなのかー。こういうのは母港に帰ってから修理するそうです。
金剛型は結構前甲板を波に突っ込んでる写真があるので、その話をハナさんにしたら、大和型そんなことないですし余裕ですし、みたいな反応をされたぐぬぬ!いやしかし波濤を割りながら全力航行とかまじかっこよすぎてしぬ。







後甲板に回って顔覗かせてるシースパローにぺたぺた触って、また色々お話を聞かせてもらった!
分隊のことを説明してもらっていた時に、第4分隊が補給科でこれこれこういうことをして、って話で、思わず「主計科ですね」ってなっちゃうわれら。
カレーおいしいよ、って話になるかと思いきや、誰が作るかによってだいぶ味が変わるそうで。普通の材料以外に、自腹でスパイス買ってきたりするそうです。インド風、タイ風、シーフード……って4種類くらいある日とか、激辛とマイルドなのがある日とか、色々みたい。二日目の方がおいしいから、って前の日から仕込んだりもするよ、って話でしたすげえ。おかわりしていいのに、お皿に大盛りにする人もいるんだってw

いそゆきは佐世保の艦なんで、佐世保のお酒についても訊いたよ!じゃがいも焼酎がおいしいとのこと。やっぱり九州は焼酎なんだな。あと、最近梅酒とか梅ワインを造っているところがあって、おいしいって!もしや、長崎空港で梅酒と甘夏リキュール迷って甘夏の方を買った「梅ケ枝酒造」さんかしら?
でも最近の若い人はあんまりお酒呑まないそうです。それは何処でも一緒なんだな。海軍時代はやたらお酒を呑んでいるイメージあるけど、今は艦の中で飲酒は禁止だったっけ。

あと、帽子の話。官給品もあるけど私費で買う方が帽章とか鍔の形とかかっこいいんだよ、って帽子の裏を見せてもらったのが高田帽子店のでした。やっぱりそうなのかー!被らせてもらって写真撮ったぜ。1日で3回帽子貸してもらったw





お次はラッタルを上ってヘリ見学。飛行甲板が一段上になってるのは初めてだ。このラッタル、最初は膝を打つ人もいるけど慣れるそうな。
艦載ヘリはSH-60Jでした。長崎・大村の航空隊から来ているもよう。
今までヘリって陸上か、「ひゅうが」の広々とした甲板上でしか見たことなかったので、着艦装置にぐいっと固定されているのは新鮮でした。どんな暗闇の中でも、その約90cm四方の中に着艦するんだって……明かりをつけると逆に水平線が見えなくて姿勢保てなくなるから、暗い中でするんだって……すごい……。操縦席のスイッチとかも、手元を明るくすると逆に外が見えなくなるから、暗い中でも装置がわかるように訓練するとのこと。「水平線が命」っておっしゃってたのが印象深かった!





あと、海自の人が倉庫に入ろうとしているところに通りすがって、中見せてもらった。更にバッジもらった!嬉しい!退艦する時に、敬礼を教えてもらったりもしました。





見学が終わった後は、海遊館行ったりいそゆきの煙突が見えるお店でお昼食べたり公開が終了するまでずっとマーケットプレイス側から眺めてたり装備を前(速射砲)から順に唱えてみたり。見学してた頃は曇ってたんだけど、だんだん晴れてきて。でも午後はすっごい人多くなってたから、朝一で行ってよかった!ゆっくりお話聞けたし。
「今のDDは『ディフェンス・ディフェンス』」っていうのが記憶に残ってるな。本当はDestroyer(駆逐艦)の意でDD。
あと、号令の前に聞こえる笛の音はサイドパイプだよ、ってハナさんに教えてもらったんだけど、サイドパイプの形状の説明が「妊娠したメダカ」っていうのがすごい表現力だなと思いました まる





金剛から陸奥までの十戦艦で五・七・五・七・七ができるのは有名だと思いますが、ハナさんがそこから更に大和型を付けたそうとして大変なことになっていたので帰り際にヒィヒィ笑ってました。「やまとととまと、むさしなの(武蔵+信濃)」の語呂のよさは素晴らしいけどトマト何処から来たー!大和と卵、って言い換えてたけど(大和オムライス好きだから)、5757775はやっぱりおかしいと思います^^

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