にっき。画像にオンマウスで大概なんか説明出ます。

2014.11.16.(Sun) 



大阪南港ATCで開催された「巨大戦艦大和」展、行ってきました〜。結局別々の相手と計三回行くことにw(しかもそのうちの一回は何故か家族で……)大和ミュージアムであった特別展にも何回か行ったので、合計すると結構な回数、大和の艦橋再現を見たことになります。

展示内容は大和ミュージアムの時とそう大幅に変わっているわけではないんですが(映画の撮影で使った模型なんかが増えてる)、入って一枚目の写真パネルが金剛だったのは「あざとい流石金剛兄さんあざとい」ってなってましたね……。割と金剛(を中心に金剛型全体的に)は何処にでも出張ってくる。好き……。







1/100模型も展示されていました。赤城とか伊勢とか扶桑とか。赤城の飛行甲板上の機体の並び方は、本当は三角(三機一セット)で並べるので実は違うんだって以前の解説で聞きました。









実物大第一艦橋再現で流されている主砲射撃訓練の映像、主砲を撃つ前に艦載機が飛んでいくのがいいなって思います。あとこれ、羅針盤とか伝声管の位置が結構高いけど、実際の艦橋内部はもっと低かったっぽい。当時の人の身長に合わせると高すぎるよね……。





大和が最後に主砲を撃ったのは沖縄特攻作戦の時ではなく、昭和20年3月19日の呉の初空襲の時だそうです。米軍が本土空襲で一番被害を被ったのは呉らしくて、射撃指揮装置を持った多くの艦、最新式の防空砲台、紫電改の部隊である三四三空、と邀撃体制があったため。この日、大和も柱島水域で応戦しています。第十一分隊長の大尉が一・二番主砲の弾籠めの指示を出したら有賀艦長にものすごく怒られた、とのこと。何故かというと、三式弾なので破片が市街地に落ちるから。
一方、沖縄の時は雲量10、雲も低い状態で、雲の間から米軍機が急降下爆撃、雷撃を仕掛けてくる。未来位置を計算することができず、ついに最後まで主砲が火を噴くことはありませんでした。







大和からの引揚品も色々展示されていました。これは呉沖で引き揚げられた大和のものと同型の機銃。





あとは、「男たちの大和」撮影時の大型の模型。この大和、1/35(全長7.5m)です。大和ミュージアムの1/10には負けるけど、やっぱり大きい。









三回目に行った時は大和ミュージアムの相原統括のギャラリートークの日だったんですが(前述の大和の最後の主砲発射の話なんかは解説で聞きました)、やっぱりこういうのは解説のある日に行くのが一番面白いなって思います。海軍さんの珈琲ってお土産で売ってるけど、海軍は紅茶派だよリプトンだよ、って話とか。ビールはキリンです。あと、潜水調査の時の話が切ない。大和の後檣の話はちょっとびっくりした。

大和ミュージアムの巡回展、今後もやってくれたらな〜。

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