にっき。画像にオンマウスで大概なんか説明出ます。

2013.02.09.(Sat) 
1/27は擬人化王国に参加してきました!わざわざスペースに来てくださった方もいて、とっても嬉しかったです。差し入れもどうもありがとうございました!お菓子めっちゃいっぱいでえへへ。ちょっとずついただいています。
無配本はなくなったので、小説の方はそのうちサイトにアップします。小ネタまんがは再録するかな。


2/3は、擬人化友達(大和型好きさん)のハナさんと一緒に、比叡の艦内神社の勧請元である日吉大社(滋賀)に行ってきました。詳しいレポート(といっても前回駆け足だったんだけど)は9月に行った時のログがあるのでそちらを参照してもらうとして、今回は節分祭目当てです!

節分祭は11時からということで、それに合わせて早めに行きました。お祭りがあるのは西本宮なので、まずはそちらにお参り。御朱印いただいて、お守りもほしいなって見てました。
11時を前にどんどん人が集まってきて、拝殿の周囲はぎゅうぎゅうに。神事の後に豆と餅が撒かれるんですけど、番号札の付いたのを受け取ると景品と交換できたみたいです。その所為か参加者がすごい荒ぶりようだった!わたしも無事豆袋をいただきました。帰ってから、年齢の数だけ食べましたよ。







金剛型は最終的に30個とかになっちゃうけど、大和型は3つくらいなんで、たくさん食べられるの羨ましがってればいいよね、って話をハナさんとしてました。榛名霧島とか30個もいらない、ってなってるから大和型に分け与えればwin-winだよ。比叡兄さんは律儀に食べそう。金剛兄さんはなんかぽそぽそ食べてたら30個どころじゃなくなってそう。







お食事のできるところの前に「飛龍の滝」というのがありました。思わず行って写真撮った。
航海や海上安全の神様である宇佐宮にも参拝したかったんだけど、ちょうどお祈り中で叶わず。ご祈祷が終わったところで写真だけ撮りました。
また、東本宮は檜皮葺の屋根の葺き替え中で、その様子を一部見学することができました。

榛名神社は周囲の荒ぶるネイチャーっぷり(ほんとに山の中だし奇岩がごろごろしてる)とは裏腹に参道はしっかり舗装されているのに対し、日吉大社は砂利道や土の道で木々や大岩がたくさんあって、ゆるっと自然だなあって思います。きっと大正や昭和の頃から変わらない部分もたくさんあるのでしょう。比叡の艦長さん以下もこうしてお参りしたのかな、同じ道を歩いたのかな、と思うと、感慨深いものがあります。

因みに、そんな日吉大社にもめっちゃ牙を剥くスポットがあって、奥宮エリアはちょう山の上(帰ってHP見たら往復1時間程度とのこと)。あと階段がめっちゃ急。「行こう」「行こうぜ」みたいなノリで意気揚々と登り出したものの、階段上って山道に入る頃(数分も歩いていない)にはふぇぇ……ってなってて、しかも踵のあるブーツ履いてきてたハナさんは「降りられない」とか言い出すの!もう!鬼畜ネイチャーの前にあえなく敗れ去るわれら。少なくともスニーカーが要る。

お昼は近江牛の柳川鍋と比叡ゆばのお造り食べたよ。贅沢した。





帰りにJRに乗ろうとしたら、何故かハナさん切符を2枚持ってて。2枚買った覚えはないというので改札の駅員さんにそう申し出たら、「お調べしましょうか?」って言われたんだけどハナさんが「大丈夫です!」って言い切るのでそのままホームへ。それなのに、ホームで電車待ってたら駅員さんが慌てて飛んできて「やっぱり2枚購入されてました」って1枚分返金してくれました。全然大丈夫じゃねえw

あとは大阪に戻ってカフェでケーキ食べたり古書店でおふねの本漁ったりしてました。

2013.02.24.(Sun) 
2/23、お友達と一緒に建水分神社と橿原神宮に行ってきました。

建水分神社は9月に行った時のレポートがあるので控えますが、大阪・千早赤阪村は金剛山の麓にある戦艦金剛の艦内神社の勧請元です。小ぢんまりとした神社ですが、御祭神の天御中主神は宇宙根源の元始神だというから、神様中の神様ですね。また、金剛山の総鎮守で、楠木氏の氏神でもあるとのこと。摂社として南木神社があり、菊水の意匠が見受けられます。





因みに、建水分神社のHPにも、ちゃんと金剛のこと書かれてますよ!

で、当初の目的は建水分神社だけだったのですが、同じ近鉄沿線で橿原神宮も行けるということがわかり、急遽予定を追加しました。
橿原神宮にお参りするのは初めてです。御祭神は神武天皇と媛蹈鞴五十鈴媛皇后、とのこと。二月の夕方という時期柄時刻柄だとは思いますが、人が少なくて、広くて静かで、鴉の声がいっぱいして(八咫烏は熊野から大和まで神武天皇の案内をしたとされる鳥ですね)、独特の雰囲気のあるところでした。お参りをして、御朱印もいただきました。

橿原神宮といえば、大和の進水記念の風鎮に橿原神宮があしらわれていました。結局、機密保持のために配布はされませんでしたが。











あと、橿原神宮には空母瑞鶴と秋月型駆逐艦、甲飛予科練十三期生の慰霊碑が建立されているので、そちらもお参りに行きました。入ってきた門とは反対側の、裏(?)手になるので、入口のあった案内図のうろ覚えの記憶を頼りに行ったら、うっかりショートカットして変な山道を通ってしまった。確かに「登山口」ってなってたもんね……。ちゃんと整備された道が別のところにあるのに、戻る時に気付きました。
お参りをしてから、慰霊碑のお写真も撮らせていただくことに。瑞鶴の三角マストは川崎重工製のレプリカで、飛行甲板艦橋後部にあった実物とは少し異なるとのこと。









また、慰霊公園である「若桜友苑」には、予科練の慰霊碑に関連して、航空機や特攻兵器の紹介パネルがありました。一般的な紹介だと零戦とか艦爆・艦攻が中心になりそうなところを、水偵も掲載されていて、少し嬉しい気持ちに。

そこからもう一度表の方に回って、随分日も暮れてきたので帰りました。
最後に、晩ごはんの時に霧島呑んだけど猛烈に眠くなって半分うとうとしていた!帰りの数駅の電車でガチ寝かかってたのでわたし焼酎弱いわ!


あと、『金剛型のほん。』が再版分もなくなったので、載せていた小説をアップしました。榛名の第一砲塔損傷時の話です。

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