2016.09.19.(Mon)
|
拍手ありがとうございます! >きしめさん こちらでもありがとうございます〜!扶桑さん、サイトでは出番少ないですが、癖っ毛前髪ががちゃがちゃ艦橋のイメージで思うように描けたなって思っています!
さて、9/9〜10の日程で大分旅行をしてきました。温泉旅行にかこつけて大分の海軍(というか金剛型)関係の場所にも行ってきましたよ〜。なので少しばかりレポートを。
1日目の9/9はまず別府へ。とり天を食べたりして(最初に行こうとしていたお店が臨時休業だったけど)地獄めぐりをしました。鉄輪に宿を取っていたので地獄めぐりがしやすくてよかったです(共通券のある7箇所のうち5箇所は鉄輪にある。歩いていけるよ!)。
さて、昭和十年度の榛名の写真帖にこのような一枚があります。
ワニ! ページの表題は「別府より宿毛湾へ」となっています。 そして只今の別府。
ワニ!!!いる!!!!※流石にワニは触れません。
別府の鬼山地獄というところはワニ園になっていて(仔ワニから大人ワニまでいっぱいいる)、何と大正12年から温泉熱を利用してワニの飼育をしているとのことです。当時から飼われていたワニ(平成8年まで生存)の剥製がありました。榛名(の乗組員さん)も見たかもしれない(上記の写真が鬼山地獄かどうかはわかりませんが)。
他、海地獄もきれいでした。こんなにブルーなのに熱湯なの……。かまど地獄の醤油ぷりんもおいしかったです。道中でゆで卵も買ったのに、冷ましているうちに食べるの忘れて旅館まで持って帰りました。
2日目は在来線に乗り、別府から1時間40分ほどかけて豊後竹田駅まで。大分のほぼ熊本寄りに位置しています。竹田には広瀬中佐をお祀りした広瀬神社があるのです。 お昼に行ったカフェがよかったので紹介しておきます。「アートスペースカフェ大蔵清水湯」さん。江戸時代は米蔵、その後銭湯として使われていた建物を改装したというギャラリー兼カフェです。最初ちょっと入りにくかったけど(カフェらしい看板が見当たらなくて)、雰囲気よかったしごはんもおいしかったよ!
さて、腹ごしらえも済ませたところで広瀬神社へ。
社殿横の戦没者名碑の台座に、閉塞船「福井丸」の重しに使われていた石が引き上げられて使われているとのことです。一辺の真ん中の色の違う石がそう。
こちらの広瀬神社、以前は比叡の後檣(改装で短縮された部分)が立っていたのですが、残念ながら既に解体されてしまい、現在は広瀬武夫記念館の下、「朝日」のカッター横にその一部を残すのみとなっております。
後檣設置・解体に関する経緯などが書かれています。 初代「比叡」は広瀬中佐が初めて乗艦した艦で、その名の縁で、二代目「比叡」が昭和13年、改装でマストを取り替える際に海軍から奉納されたとのこと。しかし昭和28年の台風で破損し、同48年に修理復元されたものの、上述のとおり平成20年に老朽化のため解体されています。
「朝日」のカッター。(多分)この丸太と金具が後檣の一部。 こちらのカッターも昭和12年に海軍から奉献されたもの、とあります。
榛名乗組員による奉納らしき画もありました。
下の方に「昭和十年度第一艦隊軍艦榛名乗組 大分県出身者一同」とあります。どうも当時の岩下保太郎艦長が大分県出身者らしく(お名前も筆頭にある)、奉納はその所為なのかな。昭和10年なら榛名は横鎮から佐鎮に転籍した後だから、乗組員は九州出身者が中心だしね。が、この榛名電探積んでるな……?どうしてだろう、戦後の奉納なのか。でも「昭和十年度」とあるし、岩下艦長は昭和12年に亡くなっているそうだし……。昭和の初めのものにしては色も鮮やかだし、補筆されているのかしら。詳しい経緯はよくわかりません。
カッターの上の建物が広瀬武夫記念館となっています。
こちら、霧島の元・乗組員で各地に木製の艦艇模型を奉納されてる帆足宗次さん作の「比叡」(戦艦の方)や閉塞船「福井丸」が展示されていました。
帰りに、御朱印をいただこうと社務所に声をかけたんですけど、さっきまでどなたかいらっしゃったみたいなのに不在になっていて、少し待っていると、「今日は若い人がいないので」とおばあさまが対応してくださいました。足がお悪いようなのに無理を言って申し訳なかった……。
あと、境内に阿南惟幾陸軍大将の碑がありました。竹田市出身だそうです。記念館にも、阿南大将に関する展示品が少しありました。
他にもちょくちょくお参りに来ている人もいたんだけど、自分達以外の母子連れ(地元の人っぽくない)は広瀬中佐ファンなのかな〜そうじゃなきゃ何が好きなのかな〜と気になりました。
そんなわけで1泊2日の大分旅行でした!別府温泉よかったのでまた行きたい。 | | |