そのひとの姿を初めて目にしたのは、大正九年十二月、一年も終わりを迎えようかという頃の横須賀でのことだった。
回航されてきたばかりの新しい母港は、すっかり冬支度をしている。己の本体ともいうべき『長門』は、先月二十五日、呉において海軍への引渡式が行われ、艦尾に真新しい軍艦旗を掲げたばかりだった。呉海軍工廠で建造されておきながら横須賀鎮守府籍となったのは、第一艦隊の旗艦、ひいては聯合艦隊旗艦となることがあらかじめ定められていたからだろう。戦艦八隻、巡洋戦艦八隻を相次いで建造するという壮大な計画の第一隻目、それが自分だった。
最初の航海を済ませ、未済工事の施工や点検修理のために横須賀工廠に入り、その一角で彼に出会った。
彼は己が半身の傍らに、いつも寄り添うように佇んでいた。後に聞いたところによると、同年九月に主砲塔の爆発事故で艦のほぼ全体に渡る損傷を負ったという。事故から三箇月、その頃もまだ査問会が行われている最中だったらしい。右腕の袖と白手袋の隙間から未だに白い繃帯が覗いていたのを、今でもその痛々しさとともに記憶している。艦の損傷は、この身に出るもの、だ。
我々のような存在に顕れる姿かたちは必ずしも艦影を反映するものではないが、速力を重視した巡洋戦艦らしい流麗なふねの容(かたち)と、上背はないがすらりとした細身の容姿の印象が重なって見えた。
「何を見ているんだ、長門」
彼は声のした方に視線を動かす。口調の割にはやわらかな声音。この秋津洲の東と西、対となる名を預かった二隻の片方。
陸奥は隣に並ぶように立つと、温和な線をした面をこちらに向けた。艤装も途中の、完成しきらない少年のような容姿をしている。二番艦ということで長門自身より半年ばかり遅れて進水したからだが、たったその程度進捗が違うだけであるのに、何処か幼く、頼りなく見えた。身の丈には未だ少し余る濃紺の軍服が、余計にその所感を助長しているのかもしれない。恐らく、半年前の呉においては自分もそうであったのだろう。
「あのひと」
凝らした長門の目線の先に、陸奥もそのまなざしを移した。
「榛名、さん?」
「金剛型、」
「そう、金剛さんの弟」
「『金剛』なら知っている。中野中将から何度か話を伺ったことが」
現在の呉工廠長である中野直枝中将は、国産化への技術導入を目的に英国で建造された巡洋戦艦金剛の艤装員長であり、初代艦長を務めて金剛を日本まで回航させた人物でもあった。それゆえに、折に触れ当時の様子を聞く機会があったのだ。バロー、プリマス、喜望峰に新嘉坡、まだ見ぬ遠い外洋の話を聞くのは楽しい。
戦艦と巡洋戦艦で艦種こそ異なるが、『金剛』といえば自分達にまで連なる超弩級艦の礎となった存在だ。英海軍籍の艦よりも先に三十六糎主砲――あちら風に合わせていえば十四吋砲――を積み、先の大戦時には、就役したばかりの末の二隻を含む同型四隻の貸与を英本国から申し込まれたという。
「『弟』?」
陸奥はまるで同型艦の関係を人間の続柄ように表現するのだな、と思った。長上の艦名(なまえ)に『さん』を付けて呼ぶ癖もそうだ(これは、後に自分も倣うことにしたのだが)。何処で覚えたのかは知らないが、人間達の用語を借りるならば『娑婆っ気』というところだろうか。
その意図を汲み取ったのか、彼は緩く首を横に振る。
「金剛型(あのひとたち)は、自分達のことを兄弟だと言っている」
それは何処か不思議そうな口調だった。
「姉妹艦、とは言うけれど、」
そこで陸奥は言葉を区切った。一の計画、一の設計図による系譜をはらからと称するとして、艦体に宿された魂までもが必然的に兄弟たりえるのだろうか。少なくとも呉に籍を置く扶桑や伊勢は、同型艦である山城、日向のことを弟だとは呼んでいなかったように思う。
「そうすると、陸奥は俺の弟になるのか」
彼がそのように言うと、陸奥は少しばかり首を傾げた。額の中央で分けられた前髪がさらりと揺れる。
「どちらでも構わないよ。これからは兄さん、と呼ぼうか、長門」
兄さん、そう陸奥が口にした言葉を彼は舌の上に転がしてみる。その響きはどうも己には馴染まない気がした。無形の繋がりめいたものに、最初からひとつの定義という枠を与えて囲うのは簡単だ。しかし。
「俺は今のままでいい」
そう答えれば、陸奥は屈託なく笑う。