2016.02.27.(Sat)
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| 2/20・21とまた関東に遠征してきたのでその記録です。
2/20は、茨城は友部にある筑波海軍航空隊記念館へ。4回目の訪問です。昨年10月にもお話を聞いた田中三也さんの講演の最終回(第4回)があったので!こちら関西の民のため、流石に全部の回に行くことは難しかったけど、最初と最後を聞くことができました。
当日は4時半起きでまず上野へ、そこでいつものごとくゐぬるせんせいと合流し、特急ときわで友部まで。前から気になってた「むかん」(皮剥かなくていい冷凍みかん)を喜び勇んで買ったんだけど、外れだったのかあんまり甘くなかった……。
友部駅からは更にタクシーで筑波海軍航空隊記念館へ移動します。 因みに神戸から茨城空港に飛行機で飛ぶこともできるんだけど(スカイマークだから格安で)、その先が難しくて公共交通機関だと現地に着くのが12時過ぎになっちゃうので、諦め……。きっとレンタカーを借りれたらもっと早いんだろけどなあ、車運転できないからなあ。
現地には11時前に着いたんですが、11〜12時の間だけ地下戦闘指揮所の公開をしているとのことで、折角なので行ってきました(それ以降の公開がなかったのは、この日はお昼過ぎから嵐が来るという予報だったからです……)。 地下の見学は館からは少し離れた場所なので、レンタサイクルを借りていきます。慣れた道です(まだ3回目だけど)。地下壕の受付は、ツイッターでもお世話になっているスタッフのCさん!何食わぬ顔で行ったんですけどすぐにばれましたw いつも同じ二人だもんな〜。 ところで地下壕、冬場は虫が多いそうです。外よりあったかいから。わたしほんと虫駄目で、カマドウマもあの脚の長さから跳躍力すごそうとか思ってしまって苦手なんですけど(カマドウマ自体今まであんまり見たことなかったし)、わかっててせんせーが壁のカマドウマをほらほらって懐中電灯で照らすからね!鬼だね!!1ヶ所、壁と天井の角に積み重なるようにいっぱいいた。応急治療所の方はたくさん死んでた。ヒェー!
地下見学を終えた頃に、館長さんが田中さんをお連れしていらしてたので、他の方が掩体壕とかの質問しているのに便乗してお話聞きました。地下応急医療所とか、館長さんが発見してるんだよ……虫いっぱいいたとかインディ・ジョーンズかよ……。他にも掘ったら色々出てきそうなものはあるみたいです。許可とか、先立つものとか、必要だろうけど是非ともいっぱい見付けていただきたい!
滑走路かっ飛ばしたりお昼ご飯食べているうちに雨が降ってきて、濡れ鼠になりながら館に帰りました。
田中さんの講演は13時半から。整理券は全部なくなってました。 前述のとおり全4回の4回目、最終回です。松山の三四三空に配属されてから沖縄の偵察を経て終戦で故郷に帰るまでのお話+多めの質疑応答タイムでした。
三四三空は言わずと知れた紫電改の部隊!源田さんは勿論、菅野さんとか鴛淵さんの名前も出てきた。田中さんは内地に戻ってくる前は特攻に出されるはずだったので(搭乗するはずの彗星が爆撃で焼けちゃった)、髪を伸ばしっぱなしにしてたそうでそれで目立って、「何故頭を伸ばししているのか」と訊かれて「わたしは特攻隊です」と答えたら、源田さんに「おまえの特攻は俺が預かる、その代わりおまえはやることをやれ」と言われたそうな。 メインは昭和20年3月19日の戦闘(松山上空戦)のお話。つまり呉空襲の日だ。田中さんは地上で電信員をしていたんだけど、その日に偵察に出た彩雲のうち一機は敵情を報告するも空戦となり、敵機に体当たりして高知の山中に墜落しています。一方で、地上の田中さんはどんどん入ってくる無電を聞いている。その中で印象深かったのが「菅野機辺りは『菅野一番高度○○、敵戦闘機見ユ、我攻撃ニ移ル』なんてどんどん来るわけですよ、しまいに『こん畜生、こん畜生』なんて入る」っておっしゃってたの。無線電話のスイッチを切らずにそのまま空戦している。めっちゃ菅野直だ。本の中でしか知らない人がぱっと色づく瞬間だなと思いました。
あとは鹿屋基地から沖縄偵察をしたお話でした。桜花の話も出たな。 若い人は岬を目印にして飛び立つけど、それだと敵が待ち構えているから落とされてしまうってのが印象的だった……目印なしには飛べない練度で偵察に出ていたのでしょう。彩雲は「我ニ追イツク敵機無シ」なんて言うくらいの速い飛行機だったけど、待ち構えている敵には敵わない。田中さん達は一旦九州の東の海に出て、それから太平洋の真ん中を南下していた、とのこと。それから、レーダー網の下をかいくぐって低く飛んでいたとか。
その後、終戦1週間前に不時着事故で負傷されて、更に8月15日を迎えて。「搭乗員は速やかに基地を離れろ」との命に鹿屋駅に行ったらすごい人で列車に乗れなくて、もう自決するつもりでとぼとぼ基地に戻ったら、爆音がする。彩雲が準備してました。小松の飛行場に飛ぶ彩雲に乗せてもらえることになったとのこと(田中さんは北陸出身)。3人乗りの彩雲の電信機なども全て下ろし、5人乗ったそうです。小松から更に汽車を乗り継いで実家に帰ったら、お祖母さんが両足を掴んで「こりゃ本物だ」とおっしゃったとか。生きてることを確認されたんですね。
プレゼントのジャンケン大会を挟んで、質疑応答。 質疑応答の時間で印象に残ったのがギンバイに関する質問だったな〜。笑いも起きてね。間宮の羊羹の話もあった。1回目のお話で出た、利根の武道大会で勝った時(海面のヽ( ・∀・)ノ●投げた時)の商品が羊羹だったそうです。 あと、複座や三座の機体で特攻する時は決まったペアで行くのかという質問。これはそうではなくて、田中さんの時は彗星での特攻を命じられて「操縦員は偵三(偵察第三飛行隊)から、偵察員は偵四から出せ」って言われて出たそう(田中さんは偵四)。ペアで特攻だったら、不謹慎だけど、物語の要素だなって思いました。陸軍さんは複座機でもどうやら一人しか乗らずに特攻だったようで……?
講演、YouTubeに上げてくださっているので、詳しい話はそちらをご覧ください。 https://www.youtube.com/watch?v=PHXfNsQy6q0
最後に御本にサインもいただきました。移動中に読む用としてずっと本を鞄に入れてたので、新しいのを買って持っていけばよかったー!と後悔頻り。でも仕方がない。大事にします!
講演後は館内の展示を見学。
この大和、全部手作りなんだってよ!!!(フルスクラッチっていうの?)艦首の菊の御紋章は結婚指輪を溶かして作ったんだって。それで奥さんに怒られたんだって(当たり前だ……)。更に独立ケースに入っているのは何百万クラスの大和でした。さりげなく置いてるけどな!?
筑波空記念館、年度末が更新時期なんですけど(そもそも最初は期間限定で、去年の3月末で閉館のはずだった)、館の方の話によると、建物自体の耐震の問題もあるみたいで大変そうです。建物自体は震災でもびくともしなかったそうですけど、古い建物だから耐震基準はどうにもならない……。無事に延長してほしいな。そしたらまた来年度も行きます!
帰り、少し足を延ばして水戸まで行きました。干し芋を買いに。梅まつり初日でもあったんだけど、生憎の雨だったのと、友部を出たのが遅かったので偕楽園には寄りませんでした(同じ日に、さにわの皆さまがみつたださんを求めて梅まつり行ってたみたい)。 結局、1kg以上の干し芋を抱えて帰ったね……茨城は干し芋の楽園だね……。
帰路は特急ひたちに乗ったんだけど、水戸の次が上野とかしゅごい。車内でシンカンセンスゴイカタイアイス食べました。シンカンセンじゃないからかあんまり固くなくかったです。
翌21日には横須賀編です。掲載はまた後日! | | |