にっき。画像にオンマウスで大概なんか説明出ます。

2016.04.02.(Sat) 
4/2、呉・江田島に行ってきました。お花見〜。
4月の呉の公開艦艇が事前申し込みの期日までに発表されなかったし、翌日の天気予報も全く芳しくないしで、結局日帰りで、朝6時の始発の新幹線に乗って行って参りました。みずほ快適だな〜シートが2列+2列なの最高〜。

広島駅から呉線で呉まで(久し振りに行ったら新型車両になってて驚いた。黄色い電車じゃなかった)、そこから更に高速船で江田島に渡れば9時前に着きます。先にそのまま術科学校に行くか悩んだんですが、まずは榛名と出雲の留魂碑へ。前回天気が悪かったうえに逆光だったので、時間帯が違えばちょっとはましかな〜と考えて。





そしたら。





花見会場になってるーーーーーー!!!?

まさかのブルーシートでした。まさかの。いや、驚いただけで非難するとかそういう意味合いはないんだけど。いや、写真を撮ろうと思ってたからその意味ではぐぬぬだったんだけど。夜の花見だったんでしょうか。浮かれていたら知らないうちに慰霊されている人(とおふね)が宴会に混じってそうだぞ。

その後一旦フェリーターミナルまで戻って、次はバスで術科学校へ。ちょうど来賓を招いた観桜会の日だったらしくて、「招待状をお持ちですか」って聞かれて頭が「???」となる。もしかして今日は一般人来ちゃだめだった!?って慌ててるとそうではなくて、単に受付が別ということだけでした。一般受付で公開範囲の地図をもらって(その日が観桜会ってのもそこで教えてもらった)、見学開始。





大講堂脇を通りすぎて生徒館(現在の幹部候補生学校庁舎)へ。





こちら、普段は外から見るだけなんですけど、構内開放の日は中に入れるのです!











入口の上部の硝子は、半分は古いもの(半分は割れて新しいものに入れ替えられている)で歪み硝子なんです。あと、生徒館の床は初代「金剛」(金剛型コルヴェット一番艦の方)のチークだよ!間接的に金剛に触ってるよ!





ドラマ版「坂の上の雲」の撮影で使っていた廊下もこの日ばかりは通れます。
中庭側も桜が綺麗で!





そして、有名な「同期の桜」も見ることができました。赤煉瓦と桜が絵になります。ソメイヨシノはあまり寿命が長くないそうですが、これは兵学校時代からの古木。







更に奥にあるグラウンドでは、この春に入ったばかり(らしい)の幹部候補生さん達が訓練してました。ちょっと前まで普通の大学生だった人達なので、まだ動きが一人前じゃない感じが微笑ましかったです。列を作ったり回れ右をしたりするのも何処かちょっとぎこちないような(せいぜい普通の体育の授業くらい)。卒業される頃にはキビキビになってるんだろうなあ。
古鷹山からグラウンドに向かって大声を出す訓練もするとのこと。こちらで教官が丸を出してくれるまで声を出さなきゃいけないようです。
あと、前に聞いた話で、朝起きて身支度してすぐグラウンドで体操なんだけど、体操している間に所謂「台風」で窓からベッドが捨てられるのを「アアア〜」って見なきゃいけないこともあるとか。幹部候補生さんの遠泳の話も面白かったなあ。ほんとに泳いだまま乾パン食べるんだ……(正確には棒につかまって)





広い芝生の周りをぐるりと巡りながら、展示物を見学します。










陸奥の主砲はいつもの見学ルートでは遠目にしか見れないけど、この日ばかりは傍まで行ける。









駆逐艦「梨」(のちの護衛艦「わかば」)に搭載されていた魚雷発射管も。









この連装砲は誰のかな?







表桟橋の近くにも行くことができました。海が正式な玄関なんですよね。兵学校卒業生はこの表桟橋から練習艦隊に乗り組んで巣立っていきます。現在の海上自衛隊の候補生さんも同じみたいです。
開戦の年(昭和16年)の兵学校卒業生を「榛名」が各艦にデリバリーした話とかありましたね。因みにその年、「霧島」乗組が決まった人達は佐世保まで行っていては出港(単冠湾に向けての)に間に合わないので、一旦横須賀へ行き「比叡」に便乗して、東京湾で受け渡しを行いました。





一周回って教育参考館を超えた向こう側に、魚雷や特殊潜航艇「海龍」、駆逐艦「雪風」の主錨の展示もあります。
金剛か榛名かのどちらかがガダルカナルのヘンダーソン飛行場にぶち込んだ一式徹甲弾(不発弾)があるんですけど、ちょうどベンチが設置されてたので休憩兼ねて花見ならぬ徹甲弾見してました。因みに裏側は不発弾処理された結果ほぼなくなってる。表側だと弾に見えるけど。







「砲弾の祖国帰還の経緯」
 本砲弾は 1983年8月 ガタルカナル島を訪れた赤沢璋一氏(比叡)及び永末英一衆議院議員(五十鈴)が川村庸也氏の案内により島内の戦跡を見て回った際に発見された
 その後、関係者により本砲弾を祖国に帰還させるための努力が重ねられ 特に 川村氏の熱意と懸命な尽力とにより 1985年2月 40余年振りにガ島から祖国に帰ってきたものである
 帰還後 海上自衛隊が調査を行った結果 本砲弾は「金剛」又は「榛名」が発射した一式徹甲弾であることが確認された
 そこで挺身攻撃隊として 当時の作戦に従事した有志が集って保存会を結成し 多くの会員の協力を得て 本砲弾を日本海軍ゆかりの地 江田島に展示し 永く後世に伝えることとした
 なお この砲弾が損傷しているのは 不発弾処理によるものであり また 傾けてあるのは ガ島の方向を示すためである
   1986年7月           ガダルカナル島砲撃弾保存会









皆さんお弁当持ってきてて、更にはシート引いて食べてる家族連れもいらして、次からはお弁当にしようと決意しました。

ベンチで休んでちょっと体力も回復したので、教育参考館見学。宇垣さんの「戦藻録」が何故か定位置になかったので何処に行ったのかと思っていたら、一階の展示と大和ミュージアムに行ってました。ここには榛名の艦長室から陸揚げされた大きい机があるよ。

帰る前にもう一度陸奥の主砲に寄ったら、カッター漕いでらっしゃるのが見れました。







最後に江田島クラブの展示とお土産を見て、術科学校を後にしました。敷地入口の傍にははるな型護衛艦二番艦「ひえい」の錨も展示されてるよ。ひえいの解体現場を見に行ったのが懐かしく思い出されます。





とってもお天気がよくて(暑いくらいで、ずっとスプリングコート脱いで袖捲りしてた)いい花見日和だったのもあって見学者は結構たくさんいたのですが、敷地が広いお陰でそんなに混雑感はなかったです。写真に人がほとんど写っていないのは、いない瞬間を狙ったものだけをアップしているからで、普通に写り込む程度には賑わっていた。

その後、江田島八幡宮をお参りして呉に帰るのですが、それはまた別の記事で。

2016.04.02.(Sat) 
前回の記事の続きです。術科学校でお花見をした次は、歩いて10分ほどのところにある江田島八幡宮へお参りに行きました。社殿までの階段が108段あるらしくって、その前にもめっちゃ歩いてたのもあって登ってる途中に脚が攣って動けなくなりました。やべええ。









こちらの江田島八幡宮、榛名が着底した後、艦内神社にお祀りしていた榛名神社の御霊代を預かっていただいていた神社です。榛名乗組員による奉納もあるよ。
最後の艦長・吉村真武大佐が共に退艦された後、江田島八幡宮で保管されていた御霊代は、昭和30年、舟越楫四郎初代艦長や初代乗組員、歴代艦長の手によって榛名神社に奉還されたといいます。榛名神社側には、榛名の主砲から作った灰皿や水兵帽のペンネントなんかが奉納されているようですね。以前は榛名神社のサイトに経緯が載っていましたが、サイトが新しくなってからはなくなっているみたい。





お参りして、御朱印をいただきたくって社務所にお電話したら、神職さんは外出されたところとのこと。30分か1時間くらいでお帰りになるようだったんだけど、バスやフェリーの時間が気になったので、また次に来た時にお願いします、と言って神社を後にしました。御朱印をいただく際は、事前にご連絡しておいた方がよいそうです。呉はまた行くだろうから、今度は事前にお願いしてから訪ねる……。
あと、境内に古鷹神社が合祀されている。





神社前からバスで港まで戻って、今度は榛名の着底位置辺りを見に行きました。戦後米軍が撮った航空写真と、googleマップを照らし合わせて大体の位置を掴んだところによると、多分、フェリーターミナルの少し北側の、小さい船(漁船?)がいっぱい繋いである辺り、だと思います。今も護岸工事してたので、当時よりどんどん海岸線が海側に寄ってるっぽい。





榛名が元々繋留されていた呉工廠造兵部の辺りが、ちょうど対岸に見えます。昭和20年、3/19の空襲で直撃弾1発、6/22の空襲で更に1発の直撃弾を受け、呉港からの疎開のため、石炭焚きの曳船に引かれながら江田島小用沖に移動することになりました。艦首を南に向けて、水深たった十数メートルの浅瀬に繋留されます。これで、着底こそすれど沈むことはない。





もしかしたら海底に榛名の欠片くらいは落ちて……いや埋まっているかもしれない。
なお、昭和20年7月28日の呉空襲で大破着底した榛名ですが、昭和21年5月2日〜7月4日にかけて播磨造船所の手により上部構造物の撤去が行われたものの、第四砲塔を含む水線下の船体は解撤に至らずそのまましばらく放置。25年7月から岡田組によって浮揚作業開始、翌年2/12に完全浮揚に成功しました。その後、1年をかけて解体作業がなされたようです。
解体の話といえば、伊勢日向は最後の時まで仲良くキール並べていたらしくって、もーおまえらそりゃわかるよ!現代で同じ名前受け継いだ子がまた姉妹艦になっちゃうのよくわかるよ!っていう気持ちになります。ニコイチすぎんだろもう……。仲がいいっていうか悪友みたいなイメージのある伊勢型です。

ぼけーっとしてたら(あと体力なくて機敏に動けずにいたら)フェリー1本乗り逃して、てつのくじら館見学がアウトになりました。こんなことなら神社でもう少し待てばよかった。まあそんなこんなで、帰りはフェリーで江田島を後にします。高速船と比べて、外で景色を眺められるのでいいな。お昼間はだいぶ暑かったけれど、日も暮れ始めて、風は少しずつ冷たくなってきていました。





途中で日本郵船の船とすれ違ったんですが、中身積んでないのかめっちゃ赤腹見えてて不安定な気分になる。舵も見えてる。パナマ文書が今話題になってるけど、船はほとんどパナマ船籍だよね。あと、海保さんのおふねもいました。こじまさん。海上保安大学校の練習船だそう。







日本製鋼の辺りは前述のとおり旧呉海軍工廠造兵部で、この前に浮桟橋を置いて榛名は繋留されていました。





大和の建造ドックの傍には入渠中の護衛艦「とね」が。





呉に戻って、大和ミュージアムを見学しました。友の会入っているので特別展のチケットもらってて、せめて一度だけは……!と。
特別企画展の「日米最後の戦艦展〜戦艦大和とミズーリ〜」は撮影不可でした。ミズーリと合わせるとどうしても特攻の話になってしまうよね……。金剛型は影も形もなかった(いつも紛れ込んでいる)(と思ったら、ガイドブックを改めて読んでいたら測距儀のところで榛名の名前は出ていた)。江田島の教育参考館に普段は展示されている宇垣纏の『戦藻録』はこちらに来ていました。





特別展と関係ないけどいつ見てもすごい1/100金剛。
なお、火星エンジンはすごくさり気なく置いてありました。も、もうちょっと何かアピールされてるかと思っていた……!だって、スミソニアンから譲ってもらって新しく来たばかりの展示なのに……。期間限定っていう表示もなかった。







大和ミュージアムのショップで特別企画展のガイドブックとお土産を仕入れて、ラスト、夕呉クルーズ乗船。朝の時点で、予約してなくても乗れますか?と受付で聞いたら、時間に合わせて来てもらったら大丈夫、とのことだったので喜び勇んで乗りに行きました。これは日没の自衛艦旗降納に合わせてのクルーズです。待機してたのに、タイミング出遅れて場所取り失敗しちゃったけど!





ちょうど、さっきフェリーとすれ違った日本郵船の船が岸壁に帰ってくるところでした。公試で出てたらしい。だからあんなに乾舷高かったのね……。
船はそのまま自衛隊の基地の方へ。前も一度通常のクルーズ乗ったけど、呉のクルーズって結構ぐいぐい中の方まで入るからびっくりする。桟橋と桟橋の間に入っていく……。よ、横須賀もしよう?(無理です)













じんりゅうちゃん。そうりゅう型潜水艦7番艦。神戸三菱で建造されて3月に就役したばかりなので、まだ艦番号507とお名前が船体に書いてあります。この2日後には消されたみたい。ギリギリで見れました。ラッキー。
日没の時間になったので、喇叭の吹奏と共に艦首の日章旗、艦尾の自衛艦旗が降ろされます。掲揚はいつでも朝8時だけど、降納は日没に合わせてなので日によって時間が違う。夕呉クルーズ、夏場になったらだいぶ遅い時間にやるのかな?





陽が落ちて、おふねにもライトが点きました。







日帰りで慌ただしかったけど、満喫できた1日でした!帰りは新幹線で駅弁を食べながら大阪へ。お酒買えばよかったな〜。



2016.04.10.(Sun) 
本日の横須賀新港。




射撃訓練のために「こんごう」を始めよそからの子がたくさん入ってきたので、本港を追い出されたり帰れなくなったりした二隻でした。

(4/11追記)と思ったらAIS出してないだけでおおなみもいた!



2016.04.14.(Thu) 
昨日の朝、きりしまが日本海から帰ってきたので。
おおなみ・てるづき・たかなみ

2016.04.16.(Sat) 
4/13の横須賀本港。


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