にっき。画像にオンマウスで大概なんか説明出ます。

2014.01.04.(Sat) 
ゼロ
ぐだぐだしている間に三が日が過ぎてしまいましたが、あけましておめでとうございます。今年もよろしくお願いいたします!

画像は冬コミ発行の無配本に載せていた零戦さん。冬コミでは、スペースに来てくださったみなさまどうもありがとうございました!色々お話しできてうれしかったです!好きな艦の話できるのはほんと嬉しいな〜。差し入れもたくさんいただいて、今もぐもぐ食べております。今回、売り子さんなしだったので身動きが取れず、こちらからはご挨拶に行けなかったのが残念。

でもって『永遠の0』見てきましたよー!
ほんと、宮部さん愛され映画っていうか男たちの宮部久蔵っていうか……岡田君と零戦かっこいいなーVFX頑張ったなー。五十六の時より、空戦シーンがよかった気がします。始まり方と終わり方が好きです(あっこれ『ローレライ』もや……)。零式水偵も出てくるいい映画です。あと赤城の煙突がちょうキュートでした。空母の、下向きの煙突の、あの海水を噴射して煙を吸収させるのがすごく好きでね……お陰で居住性は最悪だけどね……。
詳しい感想は2回目を見に行ってからにしようと思います。取り敢えず、原作で一番嫌な気分にさせてくれた例の登場人物がいなくてよかったです。1シーンだけで済んだし。あと金剛型を二線級っていうな。

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冬コミアフターで、ことりちゃんと一緒にハロッズでアフタヌーンティーしたり横須賀のカウントダウンイベントに参加したりしてきました。カウントダウンクルーズを予約していたので(これ、予約開始15分で完売してた危なかった)、海の上で寒いのは仕方ないながら、悠々と見れましたよー!早いめに行っていたので電灯艦飾の点灯する瞬間も見れたし、海自の横須賀上級海曹会さんのカレースープもいただけた!





0時になった瞬間、艦船が一斉に汽笛を上げ、サーチライトを夜空に照らします。サーチライトがうっすらっぽく見えたのは、周りが明るい所為かな。観艦式の夜なんかの白黒写真の探照灯ビカー!っていうのを想像していたので、ちょっと違ったかも。
あと花火!冬の花火!きれい!ただし全然うまく写真に写らない!









カウントダウンイベント終了後は、どぶ板通りの傍の諏訪神社で初詣しました。甘酒の振る舞いがあったのでいただいたんだけど、生姜味が強くて飲み切れなくて、半分ほどことりちゃんに飲んでもらった……。実は、甘酒って飲んだことなかった。
翌日は、三笠の見学に行ってきました。お正月でスタンプラリーをしていたので、張り切って景品もらってきました。ここでも甘酒いただいたよ!こちらのは飲めました。最初から少なめにしておいてもらったけど。







その後は横須賀軍港めぐりのクルーズへ。前夜はライトアップされた艦艇を見たわけですが、お昼はお昼で全然顔が違いますなー。
今回、ちょっとした潜水艦祭りになっていました。海自の潜水艦上にいた方が手を振ってくださったので、こちらも精一杯振り返しましたよー!あと、米軍の潜水艦は初めて見ました。













その後はノープランだったんですが、前にツイッターで横須賀の人達は鎌倉の鶴岡八幡宮に初詣に行くよ(ただし激混みだよ)、というお話を聞いていたので、行ってみよう、ってことになりました。横須賀駅からJRに乗ったんだけど、千葉行きで「???」ってなってたら、ぐるっと回っていくんだね……千葉は東側だし、鎌倉は西側だしで、間違ったかと思った。
鎌倉は、ほんとすごい人でした。参道のお店をぶらぶら覗きながらはなびら餅を食べながら歩いて、折角なんで鶴岡八幡宮にもお参りしました。2時間くらい並んだかな……すごかったな……初詣で並ぶ、というのは初めての体験でした。もっと早い時間だと、敷地の外まで列ができていたらしいです。噂の赤コートの警備員さんも見ましたよ!





お守りを買って、お神酒をいただいて、今度はゆっくり来たいね、なんて話しながら横浜へ。お汁粉を食べてからことりちゃんとお別れして大阪へ帰りました。はー、楽しかった!

付け加えておくと、今回、帰ってきてから寝込みませんでした。ヤッター!

2014.01.12.(Sun) 
榛名の解体についての話をします。ツイッターで呟いていた内容のまとめです。

昭和20年7月28日の呉空襲で、江田島小用沖にて着底した榛名ですが、Wikipediaなんかでも浮揚解体作業は「昭和21年5月2日〜7月4日」ということが書かれています。光人社の『戦艦 榛名・霧島(ハンディ判 日本海軍艦艇写真集)』のキャプションでも同様です。が、国土交通省の「地図・空中写真閲覧サービス」で戦後に米軍が撮影した空中写真を見ると、少なくとも昭和23年4月7日撮影の写真までは解体途中の榛名らしき姿が写っています。第一から第三砲塔、艦橋や煙突といった上部構造物は取り払われ、水に浸かった第四砲塔だけが残されている状態。

「戦艦伊勢、日向、榛名、巡洋艦出雲、青葉はマッカーサー司令部と折衝し、(作業が楽なよう)水線上の解撤にとどめた」(木俣滋郎『日本戦艦戦史』、その出典は『播磨造船所五十年史』とのこと)とあるから、昭和21年5月2日〜7月4日の間に浮揚解体作業が行われた、というのは上部構造物だけで船体自体はそのままだったのかな。
なお、『丸』の2012年4月号には、日向が情島沖から倉橋島に回航されたのが昭和26年7月、で、またキングストン弁が解放されて沈んで、27年3月にももう一回事故で沈んでいる、という新聞記事について書いてありました。それを考えると、榛名の船体の解体作業がその頃でもおかしくないし、大和ミュージアムの展示品に榛名の解体見積書があり、その日付が昭和25年3月9日付けになっているように見えます。因みに金1億2310万6920円也(但し榛名解撤工事費として)。

それらのことから、実際の(船体までの)解体完了は昭和25年以降だったのだろうと思います。


あと、先日、護衛艦「ひえい」の江田島での解体写真がツイートされているのを見て、昔の戦艦もあんなにざっくりすぱっと切断されるのだろうか、と思っていたのですが、上述の榛名の解体見積書のキャプションに「最上甲板より切断作業を行い、20トンから30トンのブロックにし、起重機船によって台船に積み込むことになっています。」とありました。陸奥の引き揚げも船体ブロックごとに行われているようだし、あんな感じなのかな。
フォロワーさんに教えていただいたところ、綺麗に解体するほど利用価値は上がる、とのこと。ボイラー部分の鉄はまたボイラーに、というように、同じ用途で利用するのが無駄がないそうです。「榛名は戦後復興の資材となった」とよく書かれますが、もしかしたら、何処かのボイラーが榛名の鋼鉄で造られていたりしたのかもしれませんね。


その航空写真と現在のGoogle Mapの航空写真を照らし合わせて、海岸線を重ねて正確な着底場所を割り出したりしておりました。本当に小用の港のすぐそこっていうか、フェリー乗り場やバスターミナルの北側目の前のところだったみたい。当時の海岸線にはフェリー乗り場のでっぱりがないので、あの辺りは戦後の埋め立てのようです。


で、そんなことを言っていたら、榛名の解体中の写真が掲載されているページを見付けました。→日本船舶海洋工学会HP
播磨造船所(今のJMU)が実施した、水線上の解体作業中のもののようです。4/30から5/26のたった1ヶ月弱で、上部構造物がほとんどなくなっている。早っ!
リンク先の記事によると、ジャパン マリンユナイテッド(株)呉事業所呉史料館、一般公開はされていないものの、予約をすれば見学させてもらえる可能性があるみたい。学会の会員向けに書かれたものなので、そういう人なら大丈夫なんでしょうが、個人でも事前交渉次第で大丈夫なんだろうか!

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