2014.10.11.(Sat)
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10/11、ゐぬるさんと一緒に筑波海軍航空隊記念館に行ってきました〜!今年の3月に引き続き2回目の訪問です。今回は元・翔鶴乗組員の野村文彦さんの講演目当て。
パネル展示、前回来た時に「この焼き鳥っぷりは赤城じゃなくて加賀では」ってなってたの、やっぱり展示に注意書きが増えてました。誘導煙突は加賀だよねえ。金剛写真帖パネルとかなくなったのかなって思ってたから、残っていて嬉しい。パネルは増えていたけど、オスタップはなくなっていたな……いぬさんがめっちゃ残念がってました。
あと前回も言ってたついうっかり座ってしまいそうな長椅子。
講演会、前回は筑波まで来れなかったので(ありがたいことに音声動画アップしていただいたけど)、今回ちゃんと聞くことができてよかったです。 野村文彦さんはあ号作戦前の昭和19年5月、翔鶴に艦上機の整備員として配属となった方で、マリアナ沖で沈没した翔鶴から脱出、4時間の漂流後矢矧に救助され、後に瑞鶴に移乗されています。零戦や彗星の整備をしていた、というお話でした。翔鶴が沈んだ時に、お財布と日記を持ち出していたので(六尺褌に縛り付けたとのこと!)色々記録が残っているそう。 エレベーターから赤黒い炎が噴き出すところや、傾き始めた艦から落ちていく人がエレベーターの穴の中に吸い込まれちゃう話辺りが印象的でした。隣で元気に泳いでいた人が静かになったと思ったら鱶が泳いでいた話も。赤紙の召集で来た人の中には泳げない人もいて、可哀相だった、とのこと。そういう人達は野村さんよりも年上の妻子のある年頃で、奥さんと子供の写真を持っていてハンモックの中でしくしく泣いてらっしゃったそうな。 あと、台風が発生するのが翔鶴が沈んだ辺りなので、また迎えに来たのかな、昔の友達が淋しくなって来るのかな、とも仰っていました。
講演会が終わった後は、地下戦闘指揮所の公開時間がぎりぎりだったので慌ててレンタサイクルで移動。自転車乗るのとか久し振りすぎて、乗りながらケタケタ笑ってしまった。 この指揮所は庁舎が攻撃を受けた時の非常用に造られていたそうですが、結局建物が無事だったので使われなかったとのこと。あと、地下を掘ったわけじゃなくって盛り土をしたって聞いた気がする。指揮所の中で頭ぶつけたり足滑らせたりしてました。ヘルメットがなかったらやばかったぜ……。
指揮所から滑走路跡経由で記念館の敷地周囲をぐるっと一周して戻り、講演会場ではまだ野村さんの周囲に人だかりができていたのでそれに遠巻きに交ざりました。アジ歴の戦闘詳報とかプリントアウトして持ってきてる方がいたみたい。 そこでスタッフの方ともちょっとお話ししたんだけど、記念館ではどうも霧島がいらん子扱いされがちらしいので、スタッフさんに霧島の何かも展示してくださいよ!ってプッシュしておきました。うう……わたしが何か持っていたら寄託か何かで大放出するのに……比叡と榛名関連しかない。
結局、陽が落ちる頃まで記念館にいて、丸一日大満喫でした!前回もほぼ一日中いたんだけど、ほんと細かいところが楽しいよ……おふねひこーきクラスタで筑波オフしようよ……。多分、すごいツッコミが入ると思う。 | | |