にっき。画像にオンマウスで大概なんか説明出ます。

2012.06.01.(Fri) 
C82カット
擬人化とはジャンル違いですが、夏コミスペース取れました。3日目(8/12)西よ-14a 「セルロイド」です。創作少女スペースですができたら擬人化本も置きますんでー!(インテ合わせになるかもしれないけど)メカミリと同じ3日目なんで、遊びに来ていただけると嬉しいです!

因みに、いつもはこういう漫画を描いています(C81で出した本のサンプル)




拍手ぱちぱちしてくださっている方、どうもありがとうございます!何もお礼がなくて申し訳ない……。

2012.06.03.(Sun) 
ことりさんに「金剛と榛名出てるよ!」って教えてもらって、三船敏郎の方の『連合艦隊司令長官 山本五十六』のDVDを買いました。TLにいないのー?って言われてから密林でぽちるまで11分でした。オタってこわいね!ガ島のヘンダーソン飛行場艦砲射撃に関するエピソードが入ってました。そのまま第三次ソロモン海戦までやってくれたらよかったのに。いや、多くはねだるまい……金剛榛名だけでも贅沢だ……。
去年末から上映していた役所さんの方の五十六は、映画館で2回観ました。最初は1回で十分だと思ってたんだけど、こっちも三戦隊出てきたから……だってあの流れで出てくると思わないものね!?不意打ちだったので、本当に動揺した。

あと、昨日は半日かけて『日本戦艦戦史』を読みました。あれはほぼ金剛型の本と言っても過言ではなかった。高かったけどたいへん面白かったです。榛名と霧島の、MIでの動向が知りたかったので、他の本よりいろいろ詳細が書かれていてよかった。
第三次ソロモン海戦についても、今までよくわかってなかったんですけど、第一夜戦で比叡が沈んだ後、もしかして霧島は金剛榛名と一旦合流している、のかな?護衛の駆逐艦に三戦隊から給油しているようなので。そういえば三戦隊の日誌にも「駆逐艦に対し重油補給」って書いてあった……。ソロモンの関連は、既に短い前夜漫画を上げていますが、あれを長くしたちゃんとしたお話を書きたいと思っていて!しっかり勉強したいです。
6月は、皆ミッドウェーのこととか、マリアナのこととか、あと陸奥のこととか考えるシーズンだと思うのですが、わたしのこころは一足お先にソロモンに飛んでおります。

イラストは勢いで描いた榛名。四兄弟で一番闘争心が薄そうだなーと思っているのですが(金剛=霧島>比叡>>榛名のイメージ)、飛行場砲撃では金剛より弾数多いし最後の最後まで敵機を撃ち落としてたりしてますね。
榛名

2012.06.05.(Tue) 
フロックコートうめぇ
6/5ということで世間様はミッドウェー一色ですが空母分は余所様で補充できるのでわたしは通常運転で金剛型を推したいと思います。大正4年6月5日、榛名と霧島と樺型駆逐艦の御親閲が横須賀軍港で行われました!(多分)ということで竣工したての頃の榛名霧島を。元ネタはアジ歴の資料なんですが、6/3に予定されていたのが6/5に延びて、6/11は横浜港で招待客の観覧、ということでいいのかなー。
生まれたての頃は、成長した後より相似度が高い。基本は鏡映しです。双子じゃない双子。性格が違うので表情はだいぶ変わるけれど、基本的に榛名を左右対称にして髪を若干短くしたのが霧島、って感じで描いてます。

艦の子は一応、10代半ば〜後半くらいの姿で生まれて、ゆるゆるっと歳を取るイメージだなあ。正式な誕生は命名を以てだけど、霧島なんかは進水前からその辺走り回ってそう。榛名は人見知りなので人間に見つかるとぴゃっと隠れちゃう。


あのですね、ミッドウェーは空母クラスタにとっては悲哀のアレだろうと思うんですけど、わたしにとっては開戦後唯一榛名と霧島で一緒に小隊組んだ時期なわけでですね。あと矢鱈榛名ばっかり被害受けてるわけでですね。たいへんおいしい、たいへん妄想のし甲斐のある、の、です……。


あと飛龍さんも描いたよ。まだ未定稿。


2012.06.08.(Fri) 
笑いかけられると泣きそうになる
気を抜くと果てしなく金剛型ばかり描き続けてしまいそうなのでここで一旦陸奥を。菊花。泣きそうに笑う、っていうイメージだ。

2012.06.09.(Sat) 
戦艦霧島の鯨肉カツレツ食べたい
かわいらしい頃の霧島。

2012.06.11.(Mon) 
SS1本アップしました。ミッドウェーから帰る途中の霧島と榛名のおはなし。若干女性向け、のような、そうでもないような。

2012.06.20.(Wed) 
6/17・18と、お友達のことりさんと一緒に呉を旅行してきました!のでレポート!分割しても長いよ!

■1日目(6/17)・その1

新大阪から呉行のパック旅行(清盛プランになってたけど我々清盛全然掠りもしない)を使ったので、更に遠方から来ることりさんをバスターミナルまでお迎え。お会いした早々、「白いワンピ被りましたねーw」ってなる(そしてそれは2日目も続いた)。バスで来るってことで新幹線の時間まで余裕を持たせていたし、悠々と朝マックで腹拵えしてというか萌え話でだべって、いざ西へ!ひたすら艦の子と、あと一緒にやってる創作の話をしていたらあっという間に広島に入りました。意外と近いね。二人とも初・広島!


最初の行き先は旧呉鎮守府こと呉地方総監部。10:00頃着く電車だったしロッカーに荷物預けたり色々してたら随分時間経ってて、10:30から受付、を、10:30までに受付、と思っていた我々は慌ててタクシーに乗って総監部へ。「入口二つあるけどどっち?」って運転手さんに訊かれて、いきなり焦る。そこで運転手さんの言う方で降ろしてもらったら、違ったー!ということで急いで坂道登って正しい入口へ。うん、10:30になっていないからまだ受付始まってなかったね……。
10:30になったらまとめて案内します、とのことだったんだけど、結局わたしとことりさんふたりきりで。貸切!庁舎の周りをぐるっと一周する形で見学です。建築詳しくないけど見るの好き。庁舎正面の、馬車止めがそのままあるのがよかったなあ。裏(というか海側だから昔は表)の階段は、天皇陛下がいらっしゃる時にそのために新しく作ったら、当日横のなだらかな道使って馬車でおいでになったとか。他は何故あるのかわからないイギリス製の大砲とか。あまり見るものないでしょう、というようなことを言われたんだけど、雰囲気だけで楽しいので平気。第二種軍装の幻影が見えてたよ。

一周し終えて、引率してくれたおにいさんの胸の徽章についてことりさんが質問してた。元々潜水艦乗りさんらしいです。水上艦艇と違って、長く海の上にいることでもらえるんじゃなくって、潜水艦は乗る前に特別な学校に行く必要がある、のだとか。
因みに、ここは英が接収したとのことでした。戦後の占領って米のイメージが強いけどそりゃあ連合軍だもんなあ。分け分けしたよなあ。「この辺り一帯海軍の敷地でしたが、先の戦争で負けたので……」うん、そうだよね……。




お次は「歴史の見える丘」へ。若干陽射しと蒸し暑さに辟易しながら歩く。折り畳み持ってきたけど晴雨兼用じゃなくて雨傘だったのだよねー!
「歴史の見える丘」は記念碑的なものがいくつか建てられていました。工廠の全体図を描いたパネルに扶桑の姿があったよ。というか扶桑さんの面影を見たのここ(と大和ミュージアムの模型コーナー)だけだったよ。扶桑さん呉工廠で呉鎮じゃん……大和様と同じ条件じゃん……。呉のカフェは扶桑さんの前檣楼を模したミルフィーユとかパフェとか出せばいいと思う。けど崩すに忍びないか!
で、ここから見えるIHIマリンユナイテッドの敷地には、呉海軍工廠時代、大和を建造したドックの覆いが残っているのです。陸橋の上から見下ろすと、トラックなんかも小さくてほんとジオラマみたいだった!







お昼は、もしまだ出しているところがあったら「戦艦伊勢のクラムチャウダー冷素麺」を(怖いもの見たさで)食べたいね、って二人で言っていて、でもネットでは過去にやってたとこしか見つけられなかったので、呉駅前の観光案内所で訊いてみたんです。「もうやってないですよ」って即レスされると思いきや、ちゃんと調べてくださって、電話でお店にあたってもらっちゃって申し訳なかった……。結果、現在メニューとして出してるお店はなかったんだけど。やっぱりな……。
仕方なくホテルのレストランで食べようかってことになり、荷物を預けるついでもあったのでホテルに行ったら、レストラン貸切とかー!結婚式とかあったのかな……。「幸せになれよ!」とか姿も見えぬ見知らぬ人に言いながら、どうしよーって駅の方へ向かっていたところ、大和ミュージアムのカフェが目に入ったのでそこに行くことにしました。でも海軍カレーはわたし横須賀で2回も食べてるので、別メニューに。天然鯛のソテー……だったかな……お魚おいしかった……でも量がお上品だったね……。あと、大和ラムネを飲んで「大和様ぺろぺろ」とか言ってたらツイートふぁぼられてた\(^o^)/


  


続きはまた明日以降に。

2012.06.21.(Thu) 
■1日目(6/17)・その2

昼食を摂った後は、大和ミュージアムのすぐ前にある「てつのくじら館」へ。最初は行く予定なかったんだけど、時間の余裕ができたので!退役した海自の潜水艦「あきしお」の実物が屋外展示されています。おっきい。潜水艦は『ふしぎの海のナディア』とか『海底二万哩』の影響で小さい頃好きでした。ロマンだよ。
展示室は海自の歴史、機雷と掃海艇について、潜水艦について、でした。掃海用のフロートに顔(サメとかアザラシ?)が描いてあったのはあれは実際にそうなんだろうか後から描き足したんだろうか。潜水艦関連の展示では、寝台(三段ベッド)の狭さを体験するコーナーがあって、スカート姿にも拘らず挑戦する二人w 下の段に足をかけて、真ん中の段に頭を突っ込んで、体を捻って上下反転させながら潜り込む、というのはできるんですけど逆に出る時がー!難しかった!
「あきしお」艦内に入ることもできて、ハッチいっぱいに興奮!操舵席にも座った!潜望鏡で実際に外の景色が見える!赤色灯にテンション上がる!







他には伊四〇〇の双眼鏡なんかもありました。これで入場無料なのがすごいね。ミュージアムショップで、思わず海図柄のレターセットを買ってしまった。ここで売ってた護衛艦いせの塩羊羹、気になってたんだけどお土産に買ったとして家族は塩系スイーツだめだしなあひとりで食べるのかあ、って思って結局買わなかった。ら、帰ってきた次の日ついったーで米海が気にしてて!買えばよかった!よかった!(妄想用に)

あと、この時点で行きに充電3本立ってたはずのカメラの電池が切れ……先行き不安に。予備電池はフル充電してたけど、充電器持ってきてなかったのです。


大和ミュージアムの前にあるビルでお土産ものやお酒をちょっと見て(当初の計画では試飲するつもりだったんだけど、予定が変わったのでなしに)、『男たちの大和/YAMATO』の顔ハメ看板やロケセットが少しだけ残っているのを見たりして、次は入船山記念館へ。
てっきりバスに乗るのかと思ったら、「こっち行ったらすぐですよ!」って橋渡って歩いていくことりさん……わかった僕はついていくだけだよ伊勢……とか何とか言いながら(ことりさんは伊勢担、大概先陣切っちゃう方)追い駆けるわたし。途中で舗装の道じゃなくていきなり森?山?道を上り出す。学生さんがスポーツしてるグラウンドの横を通って「ちゃんと抜けれますよ」ってことりさんはずんずん進んでいくんだ……やっぱり伊勢だ……(ことりさんはわたしのことをよりトリッキーな日向担って言うけど、わたしの中では日向より伊勢の方が先走るからね!?)
入船山の手前で、旧海軍病院、現・国立病院機構呉医療センターをちょっとだけ見る。階段だけが当時の遺構、とのことなんだけど、ちゃんと場所を確認していなかったので、この正面の階段がそうなのかな、後でぐるっと回ってみようか、と言いながら入船山に。
けれど入ったところで結婚式の写真撮影(?)をしていたので、邪魔にならないよう東郷さんのおうちで休憩しつつしばらく避けている。ことりさんは相変わらず双子が畳の上をごろごろしてたらいいって言ってた。一箇所暑くなったらごろんって転がって冷やっこいとこに移動するんだよー。あと、新婚さんの親族らしき子供達が、虫にご無体をして親御さんに激しく怒られてました。子供は時に残酷だね……。でも聞き慣れない方言で喋るのかわいかった!

旧呉鎮守府司令長官官舎は洋館と和館からなる素敵な建物でした。扉のステンドグラスが綺麗!ここも人がいなくてゆっくりじっくり見て回れました。軍艦出雲の艦上で供された午餐が再現されてたので写真をぱしゃぱしゃ。やっぱり相変わらず海軍はおしゃれメニューだなーぜいたく。







こういう洋館のソファで金剛兄さんがだらっとしていたらたいへんいかがわs似合うし、和館の縁側でお休みの日の長門と陸奥が寛いでいたら大層可愛いと思いました。







あと、帰り際、靴を履く時に、「ムカデがいたからアヲイさん見ない方がいいと思う……」ってことりさんに言われて!靴は靴箱に上げていたとはいえ恐る恐る履いたよ!まじ虫勘弁!
そして、記念館の館報の最新号に、『第一艦隊献立調理特別努力週間献立集』からの抜粋で金剛・霧島の献立が載ってたから思わず買っちゃった……金剛型のレシピは載っていないのよ、メニューの名前だけなのよ。それでもな!

その後はもう一回呉医療センターへ。一周したけど、やっぱり正面にしか階段なかったので、この階段が旧海軍病院のもの(推定)ってことで写真に収めました。帰って調べたら間違ってなかったみたい。





まだまだ続くよ!

2012.06.22.(Fri) 
■1日目(6/17)・その3

旧呉海軍病院からの帰り、駅前に行くバスに乗っていたら、山本五十六の軍帽を作ったという帽子屋さんが見えたので、途中でバスを降りてそのお店(高田帽子店)と、お隣の焼き物のお店へ。高田帽子店は外のウインドウから眺めただけだけど、テディベアに被せてあった小さい帽子がほしかったなあ。でも結構高かった……。飾緒もいいなーほしいなー。水兵帽のペンネントなんかもありました。
そこから更に歩いて駅の方へ向かう途中、喉渇いたねーお腹空いたねーってことになり、目に入った「海軍さんの麦酒館」に吸い込まれる。ビール大好き、というわけじゃないけど蒸し暑い日の冷たいビールちょううめえ。三種類のグラスビールを選べるセット(をふたりで半分こ)と、あとシャーベットをそれぞれ頼みました。大和ラムネシャーベットおいしかったよ爽やかだようちの大和様は鬱々としているけどね……。





まだ晩ごはんの時間まで余裕があったので、海を見に行こうということになり、ついでに呉湾のおさんぽクルーズに乗りました。売店に第伍艦隊ガチャがあった(地元で見たことない)のでやっちゃった^q^ 日向と、葛城と、綾波&伊一五が出たところでガチャが弾切れで。航空戦艦ほしかった。でもエフトイズでいつか出るって信じてる。
おさんぽクルーズと言っても横須賀の軍港巡りのようなそれ専用の船ではなく、普通に呉〜小用航路のフェリーで、おさんぽクルーズのチケットの人は小用港で降りずに引き返してくるだけなので、自分達以外は日常生活遣いの人のようでした。乗るって決めた時にはもうチケット売り場閉まってて、ことりさんに色々聞いてもらって、「船の中で買えばいいよ」ってことになりました。
船の窓から湾のぐるっと一帯が見えるのですが、呉海軍工廠の砲熕部前(恐らく現在の日新製鋼辺り)に、昭和20年6月22日の空襲で直撃弾受けるまで榛名が繋留されていたらしくって(それ以降は江田島の小用沖に転錨して防空砲台扱い。小用港のもうちょっと北側)。最早洋上を航行させるだけの重油もなくって、身動きを取ることもできず停泊してたわけなんですね。伊勢や日向、利根、天城なども当時呉軍港内にいました。






江田島側からの帰りも、転錨した榛名の位置が見えるかな?見えないかな?って眺めてました。空撮写真と当時の大体の地図は手元にあったけど、多分着底場所は航路から見える範囲よりもうちょっと北なんじゃないかなあ。わからなかったです。


クルーズから帰ってきたら、丁度いい頃合いになったので、夕飯を食べに行きました。呉で海軍グルメのひとつとして出されている「戦艦霧島の鯨肉カツレツ」目当てです。霧島!霧島ですよ!呉工廠で建造でも呉鎮守府籍でもなく呉で最期も迎えていない、機関部改造工事しただけの霧島が!ありがとう呉!ちょうどその期間にあった観艦式では他の兄弟三人揃って御召艦(榛名)・先導艦(金剛)・供奉艦(比叡)なのにひとりだけはぶられてけどな!
あと、お酒とお魚がよさそうなところ、というチョイスでお店を選びました。実際お店に行ったら、霧島の鯨カツはメニューとしてはもうやってなかったようなんだけど、ことりさんが予約がてら聞いてくれていたので、作ってもらえることに!電話で聞いててもらったし、大丈夫、って言われた時、顔が「!!!」ってなったね。この辺の行動(だけじゃないけど)、しばしばツイッターで暴露されていた(あと自分でしてた)ので、ご存知の方も多いかもしれないですね、へへ……。
「鯨カツ食べたら『霧島ぺろぺろ』ってツイートするわ」って前から言ってたので、ちゃんとしたよ!目の前に焼酎の霧島が黒・赤・金とあったんだけど、焼酎は更に呑めないので残念。鯨って癖があるって聞いてたけど、カツだしカレー風味なので、全然気になりませんでした。おいしかったよ!





この日のお酒は、呉鎮守府所属の艦の士官用だったという賀茂鶴!小さい壜一本をふたりで半分こしてちょうどいい感じでした。といっても、それでもわたしの普段の日本酒摂取量を遙かに上回っていたよ。実は日本酒あまり呑めなくて、この日のために練習してたけどそれでも今まではおちょこに一杯くらいがせいぜいだった。下士官以下用は千福だというので、それも呑んでみたかったんだけど、二本目は無理でした。ことりさん明らかに壁とお友達になりかけてたしな……さっきビールも飲んだしな……。
精算の時に、何処から来たの、何処でこの店知ったのって、お店の人と、常連さんらしきお客さんに訊かれて、海軍が好きで海軍グルメがあるって見て、って正直に答えました。次の日は大和ミュージアムに行きます、と言ったら、明日も楽しんでおいでね、というようなことを言ってもらえたのが大変嬉しかったです。ごはんおいしかったから、また呉に来ることがあったら寄りたいな。


帰り、アイスもなかを食べながらホテル行きのシャトルバス乗り場まで歩いてたんですが、バスの時間までしばらくあったし、酔い覚ましというのもあって、ことりさんが「海の方へまっすぐ行って、あっちに曲がればホテルだから!」って自信満々に言うのでついていきました。だけど、すっごい暗いし!地元民もいないし!挙句「女の子ひとりで歩いていたら通り魔に遭う」とか「ここは何処でしょう」なんてことを言い出すので、ちょwおまwwってなってました。方向は間違ってなかったけど……野性だな……。わたしほんと暗い道とか人気のない道とか苦手だし、遠回りでも知ってる道を通りたいタイプです。もっと本当のこと言うとバスだのタクシーだの使いたいタイプです。夜道怖いんだもん。

で、やっとホテルに入ってチェックイン。オーシャンビューということだったんだけど、もうすっかり陽も落ちてるのであまりよく見えず。
一日目の締めくくりとして、もう寝るか、って部屋の電気を消して暗くなった途端、「いかがわしい話をしてもいいですか!?」って声を上げたことりさんは、たいへん、たいへん、名状しがたい人だと思ったことを、書き留めておきたいと思います。すごいね。因みに、その枕詞からわかるように、金剛兄さんについての話でした。

2012.06.23.(Sat) 
■2日目(6/18)・その1

この日は朝7時起きで約束したのに、4時半に目が覚めもう一回寝ても5時半に目が覚めたので、仕方なくベッドの中で携帯弄ってました。遠足前の子供だよね……それに普段6時起きだしね……。
7時になって、ことりさんがちゃんと起きられるか眺めてたんですけど、むくっと起き上がって「金剛担じゃない」って言うのが大変おかしかったです(わたしとことりさんの共通認識:金剛=かっこいいけどどうしようもない人)。1日目白ワンピ被った、って書きましたけど、2日目はふたりともブルーのワンピでな……双子コーデか!(打ち合わせしてません)実際は、青系統というだけで、全然違うワンピですけどね!
そんなわけで用意をしてホテルのレストランで朝食を摂って、午前中の目的地・江田島へ向けて出発。


江田島行きのフェリー乗り場から、潜水艦が浮上しているのが見えました。ちまっとした棒のように見えたのはあれ、人だよね……。フェリーに乗り込んでいる間に姿が見えなくなって、もう潜航しちゃった?この下にいるの!?って思ったら北の方に移動してたー。潜水艦が白波を立てながら動いている、って初めて見た。
問題の天候なんですが、ホテルを出た時は薄日が差していたのに、江田島に渡る頃からぽつぽつ雨が降り出してきて、折り畳み傘を置いてきちゃってたので、若干焦る。結局、そこまでひどくならなかったのが救いでした!助かった!

江田島の目的は海上自衛隊第1術科学校、旧海軍兵学校見学です。入口近くの目立つところに、護衛艦「ひえい」の主錨がありました!コルベット、戦艦の名前を受け継ぐ三代目のひえい(比叡)も、もう既に退役済です。就役期間は36年3ヶ月ということで、歴代の海自艦艇で最長なのだとか。戦艦時代は二番艦「比叡」→三番艦「榛名」の順でしたが、DDHでははるな型、で一番艦「はるな」→二番艦「ひえい」、ですね(伊勢型もひゅうが型になっているのに、こんごう型は相変わらずこんごうが一番艦なのはなんでだぜ……)。
ひえい、まだ見れますよ、というお話を聞いていたんだけど、解体待ち?解体中?の子を見るのは忍びない。一目会いたいとは思うけれど……。





見学は10:30から始まるのでそれまで売店をうろついたり。旧呉鎮庁舎や司令長官官舎が全然人いなかったし、平日なのでもしかして見学者少ないかな?って思ったけどそんなことはなかった。あとやっぱり年齢層高かった!
この日は行事があるとかで、普段最初に回るらしい大講堂は後回しにして、幹部候補生学校庁舎(海軍兵学校生徒館)見て、教育参考館見学して、その後に大講堂、という順番になりました。行事のおかげで、第二種の海自さん達が行進しているのを見れたよ!白手袋片手に持っているのが大変おいしい。腰に引っかけてるのもいい。ことりさんと一緒に、ポケットは胸じゃない方がいいね、って言いながら眺めてました。あと、一緒に回ってたおばさまに、「茶髪じゃないし、きりっとしてていいわね」というようなことを喋りかけられたんですが、あの、わたし茶髪(若干)ですみません……。





生徒館は通称「赤レンガ」の名のとおりレンガ造りの建物で。引率の海自OBの方の説明によると、あのレンガ一個の価格は当時の職工さんの一日のお給料よりも高かったのだとか!それをすごい数使っているの!レンガ触らせてもらいましたが、表面がほんとつるつるすべすべで、そんな昔のものとは思えなかったです。明治時代の建物ですよ!あの有名な、長い廊下の写真も撮りました。ここ歩いてみたいなあ。中には入らせてもらえませんでした。当時、海兵に入るのは東大京大レベルのすごいエリートだったんだよ、という説明がありました。あと、海兵が東京・築地から移転してきた時にはまだ生徒館ができていなかったので、その間は繋留した船を利用していたのだとか。





教育参考館へ行く途中、芝生の向こうに陸奥の砲塔が見えたので望遠で写真をぱちぱち。かつて四番砲塔として搭載されていたものです。土日祝日の団体見学で、希望すれば見学させてもらえるのだけど、20人以上か……。





教育参考館は、幕末から太平洋戦争までの海軍関係の色々な資料と、戦争で亡くなった方々の遺品、遺書等が収められています。厳粛な場所なので、内部の写真撮影は禁止、脱帽での入館となります。40分間ほど、自由行動で館内を見て回れます。
特に印象的なのがやっぱり特攻関係の資料で、自分より若い、十代の人達の遺書を見るのはつらい……。遺言なし、って書かれているものもありました。この時代の若い人達はどういう精神性だったのかなあ、って思います。少なくとも、今の自分よりはずっと大人だ。壁に、特攻をされた方のお名前の一覧があって、一番最初に関行男大尉の名前が……。「最愛のKAのために行くんだ」っていうのがもう。
そこでハンカチ片手にうるうるしながら真面目に沈んでいたら、先に進んでいたことりさんが突然呼びに来て、「榛名ちゃんがいるよ!」とのことだったので思わずキャン!と。うっかりがっきー日記をスルーするところだったぜ……「『戦藻録』見なくていいの?」って言われて我に返った。ということで宇垣纏の『戦藻録』がありました。『戦藻録』新装版持ってて、旧字体文語体難しいなあって思いながらちょくちょく読み進めているけど、この手書きの日記を活字にしてくれただけでもありがたいと思わねばならぬ……。
で、次のお部屋に、軍艦「日進」の将官室を再現したコーナーがあるんですが、その中に何故か榛名の艦長室にあったという長机が置かれているんですね。榛名の一部が残っているとは全く思っていなかったので、わたしテンション急回復。榛名ちゃんマジ天使。そのすぐ傍にある、最初榛名のもの、って言われてた探照灯の反射板(だったかな)は実際は大和のものだったみたいで。150cmだもんな……。
あと、飛龍が沈む際に山口多聞が部下に託した戦闘帽も展示されていました。他に、五十六の使ってた地球儀だとか、すごいでっかい五十六の胸像だとか、柱島沖から引き揚げられた陸奥の艦首の御紋章が記憶に残っています。兵学校の卒業写真なんかも。

また、教育参考館の外には、大和や三景艦の主砲弾、甲標的なども展示されていました。





ここから見える古鷹山には、海自の生徒さん達も登らされるそうで、18分で駆け上がれるようになるらしいです!あれだ、BoBのカラヒー!みたいなやつだきっと……。因みに、術科学校のHPには「約50分で頂上に立つことができます」って書いてあった。それを18分か!

最後に大講堂へ。外壁は瀬戸内海産の花崗岩でできているとのことで、白くてきれいな建物です。改修して花崗岩を磨き直したのだとか。内部も、アーチ状の天井にシャンデリア、両側の窓から差し込む光、音響効果もばっちり。天皇陛下がご臨席される時用に、演壇の中央上段に玉座も設けられています(ただ、卒業式とか、海兵は遠いから基本は名代の宮様だったような)。夏場でも涼しそうだけど冬は寒そう。







見学はこれで終わりです。解散になったので、ショップでお土産を買って(身分証入れを今パスケース代わりに使っているよ!)、第1術科学校を後にしました。でも小用港までのバスが12時台一本もなくってタクシー呼んだ……。運転手さんが色々お話してくれて、お好み焼き食べた?って聞かれました。大阪のお好み焼きと、広島のお好み焼き(大阪で言う広島焼)は随分違うよなあ。あと、穴子おいしいよ、今は季節じゃないけど牡蠣がおいしいからまたおいで、って言われました。

2012.06.23.(Sat) 
■2日目(6/18)・その2

江田島から呉の方に戻って、お昼を食べにホテルに戻ったら、月曜なのにまた予約でいっぱいとか……迂闊でした。前日中に予約しておくべきだったね。大和様のオムライスが食べたい!ってなってたので、オムライスを出してるお店をパンフで探し、取り敢えずホテルから駅前行きのシャトルバスに乗る。この辺記憶が若干曖昧なんだけど、駅の近くまで来たし荷物置いて行こうよ、というわたしと、遠回りして駅に寄るくらいなら荷物持ったままで行きたい、ということりさん、という構図になってた……気がする……結局荷物持ったまま歩いたけど!ほんとめちゃくちゃ歩いたよ!?(当社比)わたしひきこもり文化系なんで……体力なくてごめん……。
オムライス待っている時に榛名ちゃんマジ天使(前述参照)って発言をしたら、ことりさんに即ついったーでばらされた挙句「ついていけない」とか言われました。わたしはごくごく普通なつもりですけど……普通だよね?
オムライスはデミグラスソースの方をいただきました。上に乗せるグリンピースは奇数個!でも大和様グリンピース避けそう。





ご飯を食べ終わって流石に「タクシーに乗らせてください」とお願いして大通りに出たら、ちょうど酒屋さんがあって、ことりさんお買い上げ。しかしこれはまだ序章に過ぎなかった。

お次は呉市海事歴史科学館、大和ミュージアムへ。
大和ミュージアムは大和様独壇場かと思いきや、何とも金剛充スポットでした!「金剛兄さんなう!金剛兄さんなう!」と心の中で喝采を叫んだ。改装前の初期のボイラがあるのは知ってたけどー!(これがわたしの大和ミュージアム最大の目当て)それ以上だったー!大きめの兄さんもいたし!ボイラの横の1/100と、あと艦内新聞が置いてあった横の模型コーナーにも1/200!三十六糎砲弾(九一式徹甲弾)の模型もあったし!でも、パネルが邪魔でうまく写真が撮れねえ……。











榛名に関しては、昭和20年7月28日の小用沖で攻撃を受けてる写真のパネルもあったし、サルベージ関連の書類もあった。榛名関係で目当てにしてたのは艦内新聞だったんだけど、読み物なら何でもよくて、こっそり艦内新聞集めてる榛名は可愛いなーと思います。霧島にも自分とこの分集めさせてるの……。しかし日刊ってすごいね?伊勢日向、赤城とか他の子のもあったよ。







あと、霧島は、金剛のボイラ前のパネルに建造中の写真がちょこっと載ってた。比叡だけ見当たらなかったな。まあ比叡と呉ってあんまり関係ないもんな……それを言ったら多分金剛もあんまり関係ないけど……。

でも、あれだけ見てたらやっぱり大和かっこいいなってなりますね。うん、やっぱり大きくて綺麗な艦だったんだろうなあ。皆が大和だいすきなのもわかるなあ。当時の技術の粋を凝らしたインダストリアルだもの!海中の映像流してたけど、流石にちょっと涙出た。











『開運!なんでも鑑定団』に鑑定に出されて、石坂浩二が購入し大和ミュージアムに寄贈したという長門の軍艦旗もありました。「今の若い人は石坂浩二知らないね?」っていう風に声をかけられたけど、一瞬ピンと来てなかっただけで知ってます大丈夫。長門に星条旗が掲げられていて、米兵が軍艦旗を広げている写真、すごい切ない。軍艦旗はそのまま米国に持ち帰られてたんだけど、手術代捻出のために出品されたとのこと。広げたら、壁の上から下までの大きさになるそうだけど、それだけのサイズの額がないから畳んで展示されているんだ。劣化しちゃうものね……。





日向の航海灯、軍艦旗と伊勢の毒ガス用救急箱なんかも。救急箱ちょっと気になってた!







他には、スルーされがちな扶桑さんの模型がちゃんとあったことに感動を覚えました。赤城と長門(共に呉工廠/横鎮)はかろうじて色んなところにいる(プラモとか置いてある)のに、扶桑さんんんん!模型で見ると、あまりあの特徴的な前檣楼がジェンガしてませんでした。もっと、こう……くの字だろ!
模型コーナーには飛龍と翔鶴も並んでたりして、でもここは飛龍じゃなくて蒼龍(呉工廠)の方がよかったんじゃない……?翔鶴の「シ」の識別記号は基本的に甲板の最前中央部にあると思ってたんだけど、模型では左舷寄りになってて(瑞鶴の「ス」の位置)、帰りに翔鶴の振りをする瑞鶴、っていう話で盛り上がったり。描かれた場所が変わってたこともあるのかなー。神戸のカワサキワールドでは「ス」って書いてあるのに「翔鶴」っていうプレート付いてたしな……。









また、ミュージアム前には引き上げられた陸奥の一部が展示されています。主錨や主砲身、艦首フェアリーダー、スクリュープロペラ、主舵など。全体像が想像できないくらい大きいです。





ミュージアムショップで図録やお土産を買い込んで、あとエフトイズの艦船キットコレクション第二弾を置いてたので霧島のスペアと利根も買っちゃって、まだ帰りの電車まで少し時間があるね、ってことで駅前のそごうでお茶。1日目に見て気になってたイートインできるケーキ屋さんでタルトをいただく!鋼鉄分の多い旅だけど、前回(横須賀)に引き続き最後だけは女子っぽく締めくくっているよね。
なお、その隣がお酒売り場だったんですが、ことりさんがふらふらっと吸い込まれていったかと思うと「双鶴」っていうお酒を買い求めて戻ってきました……それも結構大きいやつ……。すごいね。


これで、2日間の呉の旅はおしまいです。広島まで戻って、新幹線に乗って、萌え話していたらあっという間に新大阪に着いちゃって、そこでことりさんとお別れ。とても楽しかったです。呉、また行きたい!

2012.06.26.(Tue) 
ナショナル・ジオグラフィックの"The Lost Fleet of Guadalcanal"というDVDを購入しました。多分、NHKとナショジオの共同製作である『ガダルカナル海戦(ソロモン 鎮魂の海を行く)』と同じものだと思います。勿論全編英語です。わたし英語聞き取れないんだけどな……。
購入の目的は、アイアンボトム・サウンド、鉄底海峡に沈んでいる霧島の姿が映されていると知ったから(ウィキペの霧島の項目より)。本当は、日本語の方が手に入ればよかったのだけれど、VHSしか出ていないようなので諦めて英語のDVDに手を出しました。Amazonで手に入ります。

海底調査の映像がメインかと思いきや、普通に、ソロモン諸島を巡る日米の攻防戦の説明がほとんどでした。インタビューを受けている中に、大空のサムライこと坂井三郎さんもいました。日本語に英語字幕が付く形ならよかったんですけど、英語吹替を被せる形だったんで、わかりにくかったというかほとんどわかってません。当時の映像もたくさん使われていました。
鉄底海峡に沈んでいる艦艇で映し出されたのは、キャンベラとか、アトランタとか、綾波or暁(「あ」の文字はわかるけどどちらかは判別つかない)とか。霧島は本当に、上下逆さまに転覆した姿で沈んでいるんだな、と思いました。普段は暗い海の底に、今もただ静かに佇んでいるんだな。そう思うと、とても、神妙な気分になります。

しかし、霧島の出てきた辺りで使われていた映像は、多分金剛型のものではなくって長門型の演習か何かの時の砲撃と扶桑さんじゃなかろうか。違うかな……。
問題は、英語をほぼ全編に渡って聞き取れなかったことなので(映像だけで何となく理解)、もうちょっと何とかしたいです。金剛兄さんに習ってるきもちで勉強すればいいのかしら!英語嫌いで通してきたつけがここに!

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